甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■22
「まじんさんっ!?」
その声に、顔を上げる。その声は、いや、自分をそう呼ぶのは、この世界でたった一人――
「リリ……!」
リリが、そこにいた。倒れるゾルヴァに駆け寄り小さな体を震わせて、傷だらけのゾルヴァを涙を溜めた目で見ている。
「まじんさん! まじんさんっ! どうしたの!? どうしてこんなにいっぱい、ちが……っ!」
「リリ……、どうして、ここに……?」
リリには確かに、今日ここに来てはいけないと言ったのに。それなのに、どうして。
「まじんさんっ! やだよ、しんじゃやだ! しなないでまじんさん! まじんさん!」
だけどリリはそんなことはどうでもいいとでも言うように、涙をこぼしてゾルヴァに縋る。
実際は、ただ混乱しているだけなのだろう。「おともだち」の血まみれでぼろぼろの姿は、この歳の少女には衝撃が強すぎる。
「リリ……」
「まじんさん、どうしたの? だれかにいじめられてるの? いたいいたいでしょ? あっ、ママが、ママがきっとみてくれるよ」
リリの小さな手がゾルヴァの頬に触れる。それは恐る恐るといった手つきだったが、ゾルヴァの黒い血を恐れているのではなく、
ゾルヴァの傷に触れないようにした意味合いが強い。優しい手だった。そしてゾルヴァはそんなに優しい手を知らない。
――何を。
何を、弱気になっているのか。
リリはこんなにもゾルヴァの知らない世界を与えてくれるというのに、その世界を破壊しようとする世界を、どうして滅ぼせないというのだろうか。
リリはこんなにもゾルヴァを心配してくれるのに、どうして駄目かもしれないと瞼を閉じることが許されるだろうか。
「……リリ」
黒い血で汚れてしまったリリの手をゆっくりと外し、力を振り絞って起き上がる。額を深く裂いた傷から、血がぼたぼたとこぼれた。
「あ、ま、まじんさん、うごいちゃだめだよ。いま、ママよんでくるから、ね。ここに……」
「リリ」
立ち上がって駆け出そうとしたリリの手を、なるべく優しく握る。血まみれの手で触れたらリリが汚れてしまうが、今はもう仕方がない。
「リリ、ここに……いてくれ。ここにいて、俺の話を聞いてくれ」
早くしなければすぐにでもイシュは追いついてくるだろう。その前にリリをここから離さなければならない。だけどそれでも……少しの猶予はある。
リリは不安に涙を流しながら、それでもこくんと頷きゾルヴァの前に座る。賢しい子だと思った。
「これは……リリに返す」
ゾルヴァは左腕に巻きつけたリボンをほどき、リリの手に握らせた。ところどころが切れてほつれ黒い血が染みてしまったが、
ゾルヴァが持っていたらこれ以上にぼろぼろになってしまう。せっかくリリにもらったものを、そんなふうにはしたくなかった。
「え、でも……これ……」
「いいんだ。俺なんかが持ってるより、リリが持ってたほうが似合うさ」
実際、その通りだ。リリの今は二つに縛っているセミロングの髪をこの真っ赤なリボンで縛れば、さぞ似合うことだろう。
その髪がさらに伸び腰ほどまでになったら、きっともっと似合う。その姿を想像してゾルヴァは小さく笑み、
それから全く似合わなかった自分の姿を思い出し、苦笑する。
「リリ、俺はこれから、まだやらなきゃいけないことがあるんだ。だから今日はもう帰れ。明日また、一緒に遊んでやるから」
「でも……っ、でも……!」
リリはその瞳からぽろぽろと涙をこぼす。ゾルヴァが死んでしまうかもしれないという不安は、この幼子の心を掴んで離そうとしないらしい。
その涙のあまりの重みに、ゾルヴァまで泣きそうになってしまう。リリはこんなに泣くほどゾルヴァを大切に思ってくれている。
その涙の重みとはつまり、リリにとってのゾルヴァの価値の重みだ。自分の存在はリリにとってこんなにも重いのだと知らされて、
あまりの嬉しさに、泣きそうになる。
「なんで……、なんでまじんさんがこんなにぼろぼろにならなきゃいけないの?」
ひっくひっくと嗚咽を漏らし、柔らかな頬を濡らす涙を一生懸命に拭いながら、何も知らない幼子は悲鳴のような問いをこぼす。
だからゾルヴァは半分冗談のつもりで、リリに真実を告げる。
「それは俺が……、人間じゃないからだよ」
言いながら頬の涙を拭ってやると、リリは涙で濡れた瞳をゾルヴァに向ける。さぞ驚いただろう。もしくは信じていないだろうか。
人間の姿をして人間のようにしゃべり人間のように接することができる存在が、人間ではないなんて。
「……なにいってるの?」
やはり理解できないか、と頭の隅で思ったゾルヴァはしかし、とても予想外の言葉を聞いた。
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