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甘ったれクリーチャー  [作者:直十]

■28

  やがて数十年の月日は流れ、イシュは深い森の中に立っていた。
  長い月日が、その姿に刻み込まれていた。綺麗な色だった金髪は今ではほとんど白く染まり、精悍な顔立ちにもしわやたるみが刻まれている。
  引き締まっていた体は今ではもう衰え、あの頃と比べ一回り小さくなったような印象を受ける。
  現にすでに国家直属魔術師の地位も若い世代に託し、イシュは今、軍の重役として国に仕えている。
  だから老いたイシュはかつての純白の軍服ではなく、一般的な藍色の軍服をその身に纏い、老いた姿に似つかわしいステッキを持って、
  森の中に立っている。
「月日が流れるのは……早いな」
  森を渡る風に包まれ、誰にともなく呟く。否、誰にともなくということはないのかもしれない。イシュの足元には小さな墓があるのだから。
  誰の名も刻まれていない墓石が立っているだけの、質素な墓。その墓の前には、イシュがたった今供えた花束と、
  少し前に供えられたらしい少し萎れた花束が置いてある。
  ここはかつて、小さな女の子と魔族が一緒に遊んだ小屋があった場所だ。小屋は数年前に撤去されてしまい、
  ここにはその魔族――ゾルヴァの墓しかない。
「こんなに老いても、まだ俺の罪は贖えそうにない……。お前の呪いは、強烈だな」
  どこか自嘲するように、イシュはくすりと笑う。あれ以来、こんな笑い方しかできなくなってしまった。
  イシュは目を伏せて、少し萎れた方の花束を見る。萎れているとは言っても、供えられたのはおそらく昨日だろう。イシュはそれを、よく知っている。
「リリちゃんは毎日ここに来ているのか……」
  リリのことを思うと、胸が抉られるように痛む。あれからずっとリリの成長を見守ってきたが、リリが幸せそうに成長するのに対し、
  イシュの心にはいつも痛みがまとわりついていた。
  リリの存在は、ある意味ではイシュの罪そのもので、ゾルヴァの呪いだ。リリはイシュを憎みも恨みもせず明るく優しく接してくれたが、
  それはイシュの救いとなる一方で、痛みを助長させるものでもあった。リリはきっとその笑顔で、ゾルヴァを失った傷を隠しているのだから。
「――あれ? イシュさん?」
  ふいに背後からかけられた声に、振り向く。その先には、右手に小さな幼子を連れ、左手に花束を抱えたリリが立っていた。
「来てくれたんですね。ありがとうございます」
「ああ。久しぶりに休暇が取れたからね」
  リリは美しい女性に成長していた。太陽の光を透かす茶色の髪を腰ほどまで伸ばし、それをところどころほつれ、
  黒いしみがいくつもついた古ぼけた赤いリボンで一つに結んでいる。もうすぐ三十になる年頃なのに無邪気な笑みは健在で、
  その朗らかな雰囲気に柔らかい色のカーディガンとロングスカートがよく似合う。
「ほら、ルリ。ちゃんと挨拶しなさい」
  リリに促されて、リリが連れた幼子――ルリは、半分リリの足に隠れるようにしてそれでも小さく会釈した。
「ああ……すみません、人見知りの激しい子で……。もう、何回も会ってるっていうのに」
  自分の後ろに隠れてしまったルリの頭を撫でてリリは申し訳なさそうに言うが、イシュは別にかまわないよ、と笑った。
「ここには、毎日来ているのかい?」
  ゾルヴァの墓の前にしゃがみ、持っていた花束と少し萎れた方の花束を交換したリリに、尋ねる。
「ええ。どうしても外せない用事がある日以外は、毎日。ここに来れば、あの頃を……彼のことを、鮮明に思い出しますから」
  リリの表情に一瞬だけ浮上した愁いに、イシュの心は引き裂かれそうになる。その痛みが表情に出てしまったのか、リリは慌てて両手を振る。
「……あ! いいんです。イシュさんが気に病むことなんて一つもありません。仕方のないことだって、ちゃんとわかってますから。
あの時のイシュさんの立場だったら、ああするしかなかったじゃないですか。悪いのは、彼と友達になってしまった……
彼を人間たらしめてしまった、私ですから」
  リリは、イシュを恨まなかった。亡くした「おともだち」が最後の魔族だったことや、当時のイシュの立場を成長して全て理解し、
  その上で――イシュを憎むことも恨むこともしなかった。逆に贖罪のように会いに来るイシュに、親しげに接してくれた。
  そのたびにイシュが胸に走らせる痛みごと、優しく包み込むように。
「いいんですよ。多分彼だって、わかってたんです。私とずっと一緒にいれないことぐらい。魔族と人間が共存できないことぐらい……
多分、千年前から。だから、仕方のないことだったんですよ。私が彼と一緒にいたいと願うのは、きっとただの我儘なんですから。
それに私は、彼がその我儘を通すためにあんなになってまで戦ってくれたことが、嬉しかったですし」
  最後の魔族だったゾルヴァは、たとえイシュに勝ったとしてもまた次の人間に追われるだろう。それを殺しても、また次。
  殺してもまた次……と、最終的には全ての人間に追われるだろう。それでもリリと一緒にいるためには、それこそ全ての人間を殺すしかない。
  そしてそんなことは、到底不可能だ。
  それでもゾルヴァは戦ったのだ。リリと一緒にいるために、全人類を、世界を敵に回してでも。その壮絶な覚悟に、イシュは目眩すら覚える。
  そのまま卒倒してしまいそうなほどに、その覚悟は重い。
「だから私は、彼のほんの小さな思い出になれたのなら、せめて彼が死ぬ前に、ほんの少しでも優しい気持ちになってくれたのなら、
それで満足なんです。私と過ごした日々をほんの少しでも楽しいと思ってくれたのなら……
私の存在で少しでも優しい気持ちになれたのなら……私はもう、それでいいんです」
  聡いリリはその覚悟を理解して……他の誰のためでもない、リリだけのための覚悟を理解して、だから誰も憎まず、恨まず、こうして笑っている。
  ゾルヴァはイシュに殺されたわけでも、世界に殺されたわけでもない。ゾルヴァは自らのその覚悟に殉じたのだ。
  それをリリは痛いほど理解しているから、笑っていられる。
「……そうか」
  イシュはそっと瞼を閉じる。そこに浮かぶのはゾルヴァの顔。戦いの最中に見せていた凶悪で残虐な笑みではなく、
  優しく穏やかな笑みを浮かべた、ゾルヴァの顔。
  つまりはそれが、あの戦いの結果なのだろう。
「それじゃあ、俺はこの辺で退散させてもらうよ」
「え……、そんな急がなくても、家でお茶でもどうです?」
「そうしたいのも山々なんだけどね。忙しい中何とか作った休みだから、まだまだ仕事が山積みなんだよ。
ま、直属魔術師だったころの方がずっと大変だったけどね」
  おどけて肩を竦めると、リリは眉尻を下げて、それでも小さく笑みを浮かべた。
「……お暇になったら、いつでもいらしてください。お茶を用意して待ってますから」
「ああ。そうさせてもらうよ」
  イシュが背を向けて歩き出すと、背後でリリが深く頭を下げる気配がした。
  その気配を背に、イシュは歩いていく。その胸に、いつまでも消えることのない痛みを抱えながら。



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