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甘ったれクリーチャー  [作者:直十]

■25

「……おい」
  やっと終わった、と痛みと疲労から来る倦怠感に身を任せていると、倒れ伏したゾルヴァから声がかかった。
「……なんだ、まだ生きてたのか」
「うるせえよ。いいから、この剣抜いてくれ。邪魔で仕方ない」
  胸を貫通した傷からは、今も血が流れて止まらない。抜いたところで血は止まらず、迫り来る死は逃れられない。
  だからというわけではないが、イシュはゾルヴァの言う通り、痛む体に鞭打って突き刺さったままの剣を抜いてやった。
  抜いた瞬間ゾルヴァは痛みに声を上げ血を吐いたが、そんなことはどうでもいいとでも言うようにごろりと仰向けになって天を仰いだ。
  どくどくと溢れ出す血と共に、ゾルヴァの命が流れ出していく。それでもゾルヴァは木々とその間に見える空と雲を眺めて、
  少しだけ嬉しそうに目を細めた。
「なあ……、ついでと言っちゃなんだが、一つ頼みがあるんだ」
「頼み……?」
  そのゾルヴァにあまりに似つかない言葉に、イシュは思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。
「そうだ。頼み、だ。あと数分の命なんだ。聞いてくれないか」
  あと数分とわかっているわりには、酷く落ち着いた声だった。イシュはその声に、初めて見たとき聖人かと思ってしまったことを思い出す。
  それは死の際に立ってもなお世界を愛しているような、そんな聖人のような声だった。
  まさか、と思う。ゾルヴァは最強最悪の、最後の魔族。人間を嘲笑い踏み躙って虐殺する化け物。
  そんなゾルヴァに対してそんなことを思ってしまうなんて、罪にさえ等しい。
  だけど、だけど――穏やかな笑みを浮かべて空を見上げるゾルヴァに、畏怖すら抱いてしまう。
  何故そんな顔をする? 何故そんなふうに笑う? 初めて見た時の疑問が再び湧きあがる。
  化け物であるはずのゾルヴァが、魔物であるはずのゾルヴァが、何故そんなふうに笑うのか。その違和に、頭の中で警鐘が鳴る。
  思えば、この違和による警鐘は始めの時から鳴り続けていた。生きるためなら真先に逃げを打つはずのゾルヴァが、未だここに留まっていたこと。
  残虐で冷血非道であるはずのゾルヴァが、聖人のように笑うこと。何故なのだろう。何故、何故、何故、何故。
  疑問と違和で頭の中が飽和し、警鐘はわんわんと頭の中で鳴り響いている。そしてそれらは全て、寒気となって背筋に響く。
  つまり、嫌な予感に直結している。
  もしかしたら違っているのではないか。そんな予感がイシュを苛む。自分は何か間違っているのではないか。
  何か間違っているから、こんなにも違和感が絶えないのではないか。
  頼み――。ゾルヴァがさっき口にしたもう一つの違和に、イシュは追い立てられた小動物のように辿り着く。
「頼み、か。……わかった。聞いてやろう」
  内心の動揺が伝わらないように、苦労した。そうして初めて気づく。自分は動揺している。
「そうか……。なら、頼む……」
  さすがに傷が痛んだように顔をしかめ、それからゾルヴァは、絞り出すようにそれを言った。
「明日、俺がいたあの小屋に……女の子が来るんだ」
「え……」
  あまりに予想外の言葉に、瞠目する。
「女、の子……?」
「そう、だ」
  しゃべっているだけでもとても辛そうに、ゾルヴァは痛みに顔を歪めた。それでもゾルヴァは、命を削るように話す。
「リリっていう、まだ幼い、小さな女の子だ。その子が、俺に会いに、明日あの小屋に来るんだ。
だけど俺はもう、駄目だから、会いに行けないから、代わりに、リリに伝えてくれない、か。
俺がもう、いないことを、もう会えないってことを、リリに、教えてやってくれ」
  イシュは、唇を震わせた。その言葉で、全ての違和の説明がついた。全てを理解した。隠れた真実を理解した。
  だけどその真実は、イシュにとって圧倒的な後悔そのものだった。
「まさか……」
  唇だけじゃない。体全体が震えた。傷の痛みなど吹き飛んでいた。そんなものよりも圧倒的に大きい苦痛が、イシュに襲いかかってきていた。
「まさかそれが……ここに留まった理由なのか……?」
「ああ、そうだ」
  ゾルヴァが笑顔で頷いた瞬間、イシュは目の前が真っ暗になるのを感じた。自分は何か間違っているのではないか。
  先ほどの疑問を反芻する。そして今の自分はその疑問の答えを持っている。そうだ。自分は間違っていたのだ。
  ゾルヴァは大切な人を手に入れたのだ。ゾルヴァはその子のためにここに留まり、その子のためにイシュと戦ったのだ。
  その子と、また明日出会うために。そしてゾルヴァは、今、今――
「リリが、好きだった。リリが大切だった。だからずっと一緒にいたかった。追ってくる人間を殺してでも、人間を全て滅ぼしてでも、
一緒にいたかった……。だけど俺はきっと、わかってたんだ。そんなことは無理なんだって、俺はリリとずっと一緒にいることなんてできないんだって、
わかってた。それでも俺は、リリと一緒にいたかった……。リリと一緒に、笑っていたかった……」
  ゾルヴァはとても優しい声で、どんなに清らかな人間だって出せないような優しい優しい声で、呟く。だけどその声が優しければ優しいほど、
  イシュは罪悪に苛まれる。だってゾルヴァはもう死んでしまうのだから。イシュが殺してしまうのだから。
  ゾルヴァが望んだ平穏と幸福を、その命ごと全て、奪ってしまうのだから。
  イシュは罪悪に押し潰され、心を引き裂かれる痛みにうずくまる。
  自分は、間違っていたのだ。ゾルヴァは最強最悪の魔物でも、神に等しい力を持った化け物でもない。
  ただ大切な人との平穏を望んだ、人間――だったのだ。
  そしてそんな優しい、とても優しい人間を、イシュは――
「一つだけ……聞いてもいいか……」
  心が引き裂かれる痛みに絶叫しそうになりながら、それでもイシュは地面に爪を立て、奥歯を噛み砕かんばかりに噛みしめて、尋ねる。
「その子はお前を……愛していたのか?」
  どんな答えを期待したのかは知らない。ただ、知らなくてはいけないと思った。それだけは、知っておかなくてはいけないのだと。



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