甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■14
その血痕が発見されたのは、日が傾き夕暮れが近づく時間帯だった。
「こちらです」
発見した捜索隊の一人に先導されて、イシュは森の中を行く。聞いたよりもずいぶんと深い森だ。これでは捜索が難航するのも頷ける。
案内されたところには、ぽつんと一点、地面に黒いしみがあるだけだった。すでに乾き切っているが、確かに魔族の血だった。
イシュはしゃがんでそれを確かめ、その先の地面に視線を向ける。だがそこには何もない。地面のしみはこれ一つだけだった。
「発見されたのは、これだけか?」
「はっ。周辺を隈なく探しましたが、他には何の痕跡も見つかりませんでした」
イシュの問いに、案内した部下はよどみなく答える。イシュは唇に手をあて、数秒考え込んだ。
「まあこれだけ見つかっただけでも大したもの、か……」
この大きく深い森で、たったこれだけの血痕を見つけるには骨が折れただろう。イシュは頑張ってくれたであろう部下に感謝しながら、腰の剣を抜く。
それはフランベルト家に代々伝わる魔剣だ。フランベルト家の代々の退魔師の魔力が込められ、退魔魔法をより迅速に、
或いはより強力に発動する力を持っている。故にイシュは簡易呪文を小さく唱えただけで、血痕を――正確には血痕に施された術を――剣で突く。
この魔剣を使えば、簡易呪文で事足りるのだ。
血痕には、見つからないような術がかけられている。しかしこの血痕は気付かれ、見つかった。
つまりこれは術の綻びだ。完璧な術を破るのは困難だが、綻びさえ見つければそれを破るのは簡単だ。
綻びに指を突っ込んで無理やり裂いてしまえばいい。
途端バチン、と何かが弾ける音がして、生まれた風がイシュの前髪を跳ね上げる。術が破れたのだ。
すると、じわりと浮きあがるように地面に点々と続く血痕が現れた。それはイシュの背後から、森の先まで続いている。
「……よし、この血痕を追え。くれぐれも奴と遭遇しないように。居場所を突き止めても、絶対に攻撃するな」
「はっ」
横で待機していた部下は、律儀に敬礼をして駆けていった。その背を見送りながら、イシュは自分の手を見る。
想像以上に、反動が強かった。あの血痕にかかっていた術は、それの存在を隠すためだけの、簡単な術だった。
だから、破ると言ってもそれほどの力が必要ではなく、簡易呪文で済む簡単な魔法を使ったのだ。それで事足りると思っていた。
実際事足りた。しかし、思った以上に反動が強かった。例えるなら、針で膨らんだ紙袋を刺す程度だと思っていたら、
風船を割ったような手応えが返ってきたようなものだ。
魔剣の力を借りたとしても、本来なら簡易呪文だけで魔法を発動させるなど常人にはできない。
イシュの魔法を扱う技術と内に秘めた膨大な魔力は、既代一と謳われたあのバルにも匹敵するほどだ。イシュはそれほどの退魔師である。
「その俺に、震えを起こさせる、か……」
いつの間にか小刻みに震えていた手を、ギュッときつく握る。
まさかこんな小さな術で力を思い知らされるとは思いもしなかった。小さな術でも、こんなに完璧でこんなに強靭。
つまりゾルヴァはそれほどの魔族なのだ。無意識のうちに甘く見ていたことを思い知らされた。そして自分なら魔族になど負けはしないという、
無意識の驕りさえも。
「はっ、無意識に驕っていた、か。どうやらお前のことを嘗めていたようだな、ゾルヴァ」
一人、どこにいるとも知れない敵に、語りかける。
「もう驕りも油断もしない、さ。俺の全力で、お前を殺してやる」
イシュは深い森の中で一人、決意を固めていた。
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