甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■10
ばっと、大きな机に地図が広がる。
「国内での目撃証言はありません」
「国外は?」
「只今調査中だそうです」
「ゾルヴァが逃げたのは西だ。西の隣国には警戒要請も出しておけ」
「はっ」
その上を、様々な声が飛び交う。机の周りには数人の軍人が集まっていた。
その中に、目立つ白い軍服――イシュもいた。イシュはここにいる数人の軍人のトップとして、ここにいる。
「“城壁封鎖”にはひっかからなかったんだな?」
「はい。城壁を囲った兵からの目撃証言もありません」
城壁封鎖というのは文字通り、城壁を封鎖することだ。ゾルヴァの場合城壁がどれだけ高くても乗り越えて行く可能性があったため、
城門だけでなく城壁の内側を兵でぐるりと囲んだのだ。だけどその兵もゾルヴァの姿は見ていない。
つまりゾルヴァは城壁の外に出ていない。普通に考えれば。
「まだ、国内に留まっているんでしょうか?」
「……いや、ゾルヴァなら誰にも目撃されずに逃げることぐらいできるだろうが……」
イシュは唇に指を当てる。それはイシュの深く考える時の癖だ。
「それに、ゾルヴァの性質からしてそれはないと思うが……」
イシュはゾルヴァのことを深く知っているわけではないが、ゾルヴァの過去の記録から、ゾルヴァの大体の性質は読めてくる。
ゾルヴァの性質は、基本的に「逃げ」だ。いい言い方をすれば、生きることに全力を尽くす。
殺されかけている仲間を助けるわけでもなく、仲間を殺された復讐に身を尽くすわけでもなく、ただ自分の命を守るためだけに力を奮い「逃げる」。
自分の命を守るためなら誇りすらかなぐり捨てて、どれだけ見苦しくてもどれだけ醜くても、絶対に生きる。それがゾルヴァだ。
だからこの期に及んで逃げずに国内に留まっているというのは、考えにくかった。
「国内に留まっている可能性を考えて、ゾルヴァが逃げた国内の西全域はほぼ捜索しました。
……が、痕跡一つ見つかりませんでした。匂いで追おうとしても……全く犬が反応しないもので」
「ゾルヴァのことだ。自分の痕跡を一切断つ術でも使えるんだろう」
「しかし、いくらなんでもそんなことが……」
「ゾルヴァを嘗めるな」
軍人の声を遮るイシュの鋭い言葉に、その場の空気がぴんと張り詰める。
「奴は魔神……魔族の一種でも神の名を冠する者だ。奴の力を嘗めてはいけない。
昨夜の惨状を忘れたか? 奴に少しでも気を許せば何度でもあの悲劇は繰り返されるぞ。千年前だって奴一人で甚大な被害が出たんだ」
ごくり、と誰かの喉が鳴いた。
「奴はいつでも私たちの想像の上を行く。奴を討滅するその瞬間まで、決して気を緩めるな」
「はっ!」
全員の声が重なり、イシュは士気の高まりを感じた。こいつたちとなら、大丈夫だ。そう確信して、イシュはまた地図に目を落とす。
「ここは調べ終わったのか」
イシュは城から見て北西に位置する大きな森を指した。
「いえ、まだです。なにせ広く深い森ですから」
「なら明日はここを重点的に探せ。ここは国民でも奥まで入ったことのないほど深い森なのだろう?
食物も豊富だろうし、隠れるには絶好の場所だ」
「はい。わかりました」
「他に報告は?」
「ありません」
「よし」
イシュは姿勢を正し全員を見回す。全員が目に宿した強い光でそれに応えた。
「近く、ゾルヴァとの決着をつけるぞ。これはただの討滅じゃない。
人間と魔族の戦争――魔族狩りだ。だがこれ以上君たちを死なせはしない。――気を引き締めていくぞ」
魔族は夢を見ない。
ただ浅い眠りの中で、ぼんやりと思考していることはある。
ゾルヴァは闇に包まれた世界の中で、薄く考えていた。
ここにいたい。
リリと一緒に、ずっとここにいたい。
リリと一緒に、また明日も明後日もその先も、ずっとここで遊びたい。
眠りの中の思考は、ひどく純粋だ。何の雑念も混じらない、純粋な――本心。
ゾルヴァは闇の中で、ただリリを想う。
そして闇の中でゆっくりと熟す果実のように、覚悟が決まっていく。
↓目次
【1】→【2】→【3】→【4】→【5】→【6】→【7】→【8】→【9】→【10】→【11】→【12】→【13】→【14】→【15】→【16】→【17】→【18】→【19】→【20】 →【21】→【22】→【23】→【24】→【25】→【26】→【27】→【28】→【29】
|