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甘ったれクリーチャー  [作者:直十]

■27

  翌朝、リリは森の中を駆けていた。手にはところどころがほつれ、黒い血が染みついた赤いリボンを握っている。
  リリはその小さな胸に、溢れんばかりの不安を抱えていた。昨日見た、傷だらけのゾルヴァの姿。
  幼いリリは死の意味をうまく理解していない。それでもあの姿はとても危うくて、とても怖いものに近い姿なのだと、おぼろげにだが理解していた。
  だから、不安に追い立てられるように走っている。ゾルヴァがいる――いるに決まっている――小屋まで、あと少しだ。
  呼吸が荒く、やすりのように喉をこすっても走るのだけはやめない。小屋が見えてきた。いつも通りの古びた小屋だ。
  何も変わっているところなどない。だからきっと、そこにはいつもと変わりなくゾルヴァがいるのだ。
「まじんさんっ!」
  リリは走ってきた勢いをそのままに、古い扉を開ける。その先に、いつもの黒ずくめの姿を求めて。
  だけどそこにいたのは、黒ずくめとは対照的な、白い服を着た青年――イシュだった。
  イシュが小屋に飛び込んできたリリに振り返り、リリはその顔を見て、その人物がゾルヴァではないことを理解する。
  理解すると同時に、走って上がった体温が一気に下がった。荒くなっていた呼吸が止まり、それでも胸に感じる息苦しさは、そのせいではない。
「……君が、リリちゃんかい?」
  イシュの優しげな問いにも答えられない。小さな体がかたかたと震え始め、だからリリはその問いには答えず、逆に問いかける。
「……まじんさんは?」
  その問いに、イシュも答えなかった。ただ酷く悲しそうで苦しそうな顔をして、俯く。
  だけどリリは幼いながらも、その反応でわかってしまった。理解してしまった。――だが、リリはそれでも認めようとはしなかった。
  理解してしまった事実を認めようとはせずに、さらに問う。
「まじんさん……まじんさんは……!?」
  生きていると言ってほしかった。目の前の、名前も知らない顔も見たこともない青年に、それでもゾルヴァは生きているのだと言ってほしかった。
  だけど苦しそうに顔を歪めたイシュは、それでも意を決したように、ゆるゆると首を振る。
「まじんさんはもう……ここにはいないよ」
「じゃあ、どこにいるの? まじんさん、どこにいっちゃったの?」
  一生懸命に、だけど残酷に問いを重ねるリリに、イシュは身を裂かれる痛みに耐えるように、唇を噛む。
「まじんさんは……もうどこにもいない。もう……会えないんだよ」
「うそ……、うそだよ!」
「嘘じゃない。本当だよ」
「うそだよ! だってやくそくしたもん! またあした、いっしょにあそんでくれるっていったもん! ぜったいあそぶって、いったもん!」
  いつの間にか溢れた涙を飛ばし悲鳴のように叫んだリリは、耐えられなくなったかのように外に飛び出した。
  外は瞼を心地よく焼く木漏れ日に満ちた森。キラキラと輝き、たくさんの命をその身に抱えるそれは、いつもと全く同じで――
  だから、いつもと同じように、そこにはゾルヴァがいるはずなのだ。いるに決まっているのだ。
「まじんさーん!」
  森の中へ、声の限り叫ぶ。だけどその声は反響もせず……返事はない。
「リリちゃん……」
  小屋の中から、イシュも出てくる。イシュはその小さな肩に触れようとするが、その前にリリがぱっと駆け出して、その手は空振りする。
「リリちゃんっ!」
  その声に振り返りもせず、リリは駆ける。溢れる涙を否定したい一心で拭い、あの黒ずくめの姿を求めて、駆ける。
「まじんさーん!」
  ゾルヴァの、リリだけの呼び名を叫ぶ。ほんの少しで聞こえれば、ゾルヴァならきっと飛んできてくれる。そう祈るように、叫ぶ。
「まじんさーん!」
  この喉が、潰れたっていいと思った。この喉が潰れてもいい。この声がゾルヴァに届くのだったら、ゾルヴァが来てくれるのなら、
  ゾルヴァとまた会えるのなら、こんな喉ぐらい、いくらでも捧げてやる。だからお願いだから――出てきて。
「まじんさーん!」
  リリが辿り着いたのは、以前二人で訪れた泉。そこにゾルヴァの姿はない。だけど……探す。
「まじんさーん! どこー? どこにいるのー!」
  茂みや木の影を、隠れられそうな場所は全て探す。視界を滲ませる邪魔な涙を何度も拭って、小さな手を涙でびしょびしょにしながら、探す。
「まじんさーん! でてきてよー! いっしょにあそぼうよー!」
  涙交じりに、鼻水を垂らしながら、手も頬もびしょびしょに濡らして、息を嗚咽やら荒い呼吸やらでめちゃくちゃに乱して、それでも、声の限り叫ぶ。
  或いは悲鳴にも絶叫にも咆哮にも聞こえる叫びを、世界の果てにだって届くように。
「まじんさーん! なんででてきてくれないの? いっしょにあそぼうよ! やくそくしたでしょ! まじんさん! まじんさん! まじんさん!」
  わかっているのだ。理解だってしている。賢いリリは具体的な意味こそ理解していなかったが、それでもわかっていた。だけど、駄目なのだ。
  理解していても、わかっていても、駄目なのだ。リリはまたゾルヴァと遊びたいのだ。ゾルヴァに――会いたいのだ。
  だから、叫ぶしかないのだ。
  ただ、大切な人の名を、ひたすらに。
「まじんさん! まじんさん! まじんさん! まじんさん! まじんさん! まじんさん! まじん、さん! まじん、さん! まじんさん……! まじん……さん、まじん、さん……」
  だけどやがて、火がゆっくりと鎮火するように、力尽きるように、張り上げた声が徐々に弱弱しくなり……そして消える。
  リリは走りすぎて限界を越えた膝を折り、地面に膝をついた。両手を地面につき、項垂れて声もなく涙を流す。
  涙と鼻水で顔中をぐしゃぐしゃにし、大粒の涙をこぼして、それでも先程の反動のようにその唇から嗚咽や泣き声が漏れることはなく、
  リリは泣き続ける。
  リリはようやく、認めたのだ。あまりに辛すぎるその現実を噛み砕いて嚥下するにはまだ時間がかかるかもしれないが……
  とにかくリリは認め、受け入れたのだ。
  ゾルヴァはもう、どこにもいないのだと。もう二度と会うこともなく、遊ぶこともできず、どれだけ叫んでもその声は届かず、返事も返ってこないのだと。
  リリはそうしてやっと、ゾルヴァの死を受け入れた。
  やがて重傷に応急処置程度の治療しか受けていない体を引きずって、イシュが森の中から現れた。
  そして一人うずくまり、声もなく泣き続けるリリを後ろから抱き締め、
「すまない……。本当に、すまない……!」
  イシュもまた、声もなく泣いた。



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