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甘ったれクリーチャー  [作者:直十]

■23

「まじんさんは、にんげんでしょう?」

「……え?」
  思考を停止させるゾルヴァに、リリはさらに言葉を重ねる。
「だって、リリわかるもん。リリにだってかんじわかるもん。まじんさんのじんは、人っていうかんじでしょう? 
だから、まじんさんはにんげんでしょう? そうでしょ?」
  リリの問いに、ゾルヴァは答えられない。否、何かを言うことすらできなかった。
  魔神ではなく、魔人。それはほんの小さな言葉遊びでしかない。だからといって神にも近い化け物のようなゾルヴァの本質が変わるわけでもない。
  だけど少なくともリリにとっては、ゾルヴァの世界よりも大切な人にとっては、自分は神でも化け物でも魔物でもなく――人間だったのだと。
「あ……」
  やっと一声、唇からこぼれる。たまらなかった。様々な感情が胸の中に溢れ、零れ落ちそうだった。そして零れ落ちた感情は、
  形を変えて瞳から溢れ出す――
  思わず、リリの小さな体を抱き締めていた。
「まじんさん?」
  リリの口からこぼれたその呼び名が、今はたまらないほどに愛おしかった。リリがゾルヴァの血で汚れてしまうと思ったが、
  それでも腕を離そうとは思わなかった。腕の中の温もりが、痛いほどに愛おしい。
  千年前の魔族狩りから始まった、ゾルヴァの終わりない戦い。いまや世界と同義語にすらなった人間の敵になったゾルヴァは、
  世界に追い立てられ、それでも生きてきた。世界の敵になり世界から否定され世界がゾルヴァを殺そうと躍起になっても、
  ゾルヴァは笑いながら世界を引き裂いて、生きてきた。自分が生きるためなら世界なんてどうだってよかったし、
  世界が自分を殺そうとするのなら世界だって殺してやるつもりだった。実際今も、そのつもりだ。
  だけど心の底ではきっと、違ったのだ。
  ゾルヴァはきっと、世界を滅ぼすことではなく、世界に受け入れられることを望んでいた。
  終わりない殺戮の末に屍の上で一人笑うことではなく、誰かのそばで誰かと一緒に人間のように人間として、生きたかったのだ。
  ゾルヴァは、人間になりたかったのだ。
「まじんさん、どうしたの? ないてるの? やっぱり、いたいいたいなの?」
  腕の中で、リリが不安げな声を洩らす。血まみれのゾルヴァに抱き締められて、真っ黒な血に塗れ酷い血の匂いに苛まれているのだろうに、
  それでもリリはゾルヴァのことを心配してくれている。
「……ありがとう」
  腕の中のリリにも届かないぐらい、小さな声で呟く。
  ずっと痛かった。自分を殺そうと追い立てる人間たち。それを殺し続ける自分。なにも生み出さない、どこにも行けない、殺戮の連鎖。
  その中に囚われて、血風を纏い哄笑と共に術を振るい、だけどずっと、痛かった。
  終わらない血まみれの世界の底で、ずっと痛みに耐えていた。だけどもう。
「もう……痛くないよ」
  こぼれた一粒の涙が、地に落ち吸収される。ゾルヴァはゆっくりとリリを離し、ところどころ血で汚れてしまったその姿に、少しだけ後悔する。
「さあ、もう……、家に帰りなさい」
「だ……だめ、だよ。だめだよ……っ、まじんさん……!」
  また縋ろうとするリリを、ゾルヴァは首を振って制した。もう時間がない。
「明日、またあの小屋においで。また一緒に遊ぼう。……な」
  最後にまたリリの涙を拭って、もうその頬に、涙は流れない。
「……あした、また、いっしょにあそんでくれる?」
「ああ。……約束する」
  そうしてやっと安心したのか、リリはゾルヴァの大好きな、無邪気な笑顔を浮かべる。やっぱりリリは泣き顔よりも、笑顔の方が似合う。
「わかった。じゃあ、リリはおうちにかえるね。またあした、あそびにくるから。ぜったいだよ!」
「ああ。絶対だ」
  触れていた手を、そっと離す。それでも手に残った温もりは消えない。リリはゾルヴァから離れ、まだ少し心配そうな目でゾルヴァを見ていたが、
  すぐに背を向け駆け出した。だけど少し走ったところで立ち止まり振り返って、小さな体を精一杯伸ばして手を振ってきた。
「まじんさーん、またねー」
  それはいつもの、リリなりの別れ方だ。相手が完全に見えなくなるまで、何度も何度も振り返り手を振る。まるで存在を確かめるかのように。
  だからゾルヴァもいつものように、笑って手を振る。
「ああ……。またな」
  そうしてリリが見えなくなるまで見送り、ゾルヴァは立ち上がる。
  体はまともに動かない。あれは間違いなく決定打だ。勝負はほぼ決まっていると言っても過言ではない。
  向こうは全くの無傷で、こちらは立っているのもやっとの重傷なのだから。だけど――倒れるわけにはいかない。
  少し動くたびに全身に痛みが走り、極端に動きを制限される。だけど、動く。動くのなら、動かせ。
  腕が飛ぼうが足が飛ぼうが、這ってでも勝利をもぎ取れ。
  いつもと同じだ。目的を果たすため、邪魔するものは嘲笑の下に殺し、哄笑の下に細切れにし、傲然と殺害し超然と殺戮してやるのだ。
  笑いながら握り潰し、嘲りながら踏み潰し、形も残さぬほどに蹂躙してやるのだ。全ては今までと同じ。ただ、目的が違うだけで。
  だからゾルヴァは真っ黒な血で汚した唇に残虐な笑みを浮かべ、木々の間から姿を現したイシュに振り返った。



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