甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■11
朝に、何の感慨も抱いたことはない。
朝に限らず一日のサイクルに特別な思いを持ったことなどない。
ゾルヴァが生まれてからの時間は、ゾルヴァの最大の目的である「生存」を実感するだけのものでしかなかった。
だけどその朝は違う。もう、違うのだ。
ゾルヴァはゆっくりと目を開く。昨日と同じように鳥のさえずりが耳についた。
ゾルヴァは立ち上がり、服についた埃を払った。そして小屋の扉を開け、外に出る。
眩しい朝日が、眼を焼いた。昨日と同じ、綺麗な朝。新緑の木漏れ日がゾルヴァの体にまだら模様を描く。
ゾルヴァは小屋の壁に寄りかかり、そっと目を閉じた。瞼の裏でも木漏れ日がちらちらと瞳を焼く。
だがその感覚は心地よいものがあった。ふわりと森の中を撫でるような風が、ゾルヴァの髪を揺らしていった。
ゾルヴァは、そんな心地よい空間の中、ただ待っていた。ひたすら待っていた。
そして一時間程経っただろうか。ゾルヴァはふいに瞼を開き、壁に預けていた体重を自身に戻す。
静かな朝に幼い声が響いたのは、その時だった。
「まじんさーん!」
ゾルヴァはその声の方へ視線を向ける。そこでは、リリが自分の体の半分ほどもある大きなバスケットを抱えて、手を振っていた。
「リリ」
いまはもうその全員が滅んでしまったが、もしゾルヴァを知る者が今のゾルヴァを見たとしたら、心底驚いたことだろう。
そんな笑みを浮かべ、ゾルヴァは撫でるようにリリの名を呼ぶ。
「おはよう! まじんさん」
「ああ、おはよう」
よいしょ、よいしょと懸命にバスケットを運び、リリはゾルヴァに無邪気な笑みを向ける。
「きょうはね、まじんさんにね、おべんとうつくってきたの!」
一生懸命に運んできたバスケットを、ゾルヴァによく見えるように掲げる。
ゾルヴァの優れた嗅覚は、そこから美味しそうな匂いを嗅ぎ取っていた。
「リリが作ってきてくれたのか?」
「ちがうよ、ママがつくってくれたの。リリはおてつだい!」
悪戯っぽく尋ねると、リリは頬を膨らませて言った。その可愛らしい仕草に、笑みを禁じ得ない。
「あ、ママにまじんさんのこといってないよ。ちゃんとおともだちとたべるっていったもん」
昨日のうちに、リリには自分のことは誰にも言ってはいけないと念を押してある。
しかしリリの母親も、リリの言う「おともだち」が、現在逃亡中の魔神だとは露も思うまい。
「まじんさん、おなかすいたでしょ! いっしょにたべよう!」
リリはバスケットを下ろすと、中からシートを引っ張り出した。花柄の可愛らしいシートだ。
小さく折りたたまれてはいるが二人が座るには十分な大きさで、リリはそれを広げるのにも四苦八苦していた。
「貸してごらん」
焦って開こうとしてかえってシートをぐしゃぐしゃにしてしまっている姿に小さく笑みをこぼし、ゾルヴァはその小さな手からひょいとシートを奪う。
リリにとっては大きなシートでも、ゾルヴァの両腕を開くにも満たないほどの大きさだ。ゾルヴァは端を持ってふわりとシートを開く。
頭上に大きく広がり、太陽の光を透かした花柄のシートが綺麗だったのか、シートを奪われてちょっといじけたように頬を膨らませていたリリは、
それでもその愛らしい顔にぱっと笑顔を咲かせた。
そんなリリの上にからかい混じりにシートをかぶせてみると、その下でリリはきゃあきゃあと歓声を上げる。
少しシートを持ち上げると、シートにすっぽり覆われたリリが笑顔を向けてきた。
「えへへ、まじんさんのいじわる」
「たのしかっただろ?」
そう言うとリリはまたしても頬をぷうと膨らませる。だけどそれがモーションだけのものだとゾルヴァはわかっていた。
そんなちょっとした戯れ、些細な感情の動きが楽しくて仕方がなかった。
こんな感情は今まで覚えたことはなく、リリが笑ってくれているのなら、何もいらないような気さえした。
ふいにくう、と可愛らしい音が二人の間に響いた。その途端リリは頬をさっと赤く染めて両手でおなかを押さえる。
……その反応でわかってしまった。さっきの音は、リリのおなかの音だったのだ。
リリは恐る恐るといった感じに顔を上げる。きっと今自分は最上級ににやけた顔をしているのだろうな、とゾルヴァは思う。
「ご飯、食べるか」
そう言ったあと堪え切れず吹き出してしまい、顔を真っ赤にして憤慨したリリにぽかぽかと叩かれたのだけれど、
感じたのは叩かれた痛みではなく、胸をくすぐるような安らぎだった。
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