甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■15
「血痕は、この奥の小屋まで続いていました。かなり濃度の高い魔力も検出されましたので、ほぼ間違いはないかと」
「そうか。御苦労」
部下が戻ってきたのは、日が落ち辺りが暗くなり始めたころだ。
この部下はイシュの下についてイシュの意向を直接聞き動いてくれる兵だ。部下というよりは秘書に近いのかもしれない。
「どうしましょう。今から討滅を開始しますか」
「……いや」
イシュは天を見上げて、言う。
「もうすぐ夜になる。夜は魔族の時間だ。今手を出すのは危険だ」
夜になると魔族の力が強まる、というわけではないが、闇の中で夜目が効くゾルヴァを相手にするなど愚の骨頂だ。
イシュも闇の中で視界を効かせるような魔法は使えるのだが、それを使いながら戦うのと使わないで戦うのとでは全く違う。
しかも接戦となれば、その差は大きい。
「ですが、朝まで待つと逃げられてしまうのでは?」
「いや」
イシュは一言ぽつりと落とし、唇に手を当てる。
「なぜゾルヴァはこんなところにいる?」
その問いに、部下は答えなかった。その答えを持っていないということもあるが、それが独り言の意味合いを持つものだとわかっているからだ。
イシュの頭の中では、また警報が鳴っている。あの違和感がまた胸に湧き上がってきた。
なぜゾルヴァは逃げなかったのだろう。ゾルヴァなら生きるために地の果てまで逃げるだろうと思っていた。
しかしゾルヴァは今逃げずに城からこんなに近い森の中に留まっている。
封印されていた千年で、考え方が変わったのだろうか。千年も自身を封印した人間に恨みを持ったとか。
だがだったら何故さっさと手近な人間からでも殺そうとしない? 退魔銃の傷でさえもう治っているはずなのに。
ゾルヴァはすでに人間を敵だと認識しているはずなのに、それなのに何故逃げも殺しもしない?
「……まあ、いい」
こんなこと、考えたところで埒が明かない。今はゾルヴァの居場所がわかった、それだけでいい。自分の役目は、ゾルヴァを討滅することだ。
「決戦は、明日だ。明日の朝、件の小屋を攻撃する」
「了解しました。それでは、何部隊出動させましょう」
「それは一部隊でいい」
「はっ?」
よほど予想外だったのか、部下は目を白黒させる。
「ゾルヴァに数の力は効かない。奴とは俺が一対一で決着をつける。だから軍は俺のサポートに回ってくれればいい」
「しかし……それでは――」
「俺が殺された時に対処ができない?」
部下の言葉の先をイシュが口にする。部下はぐっと押し黙った。その通りだからだ。
「そうだな、そのときは……」
イシュは俺が負けるとでも思うのか、と部下をいじめるようなことはしない。小さく苦笑して、言ってみる。
「そのときは、よろしく頼む」
或いはその苦笑は、部下に自分が死んだ後の全てを頼むようなものに見えたかもしれない。それを見越した上でのイシュなりの冗談だったが。
「いえ!」
予想以上に真面目な顔をして首を振った部下に、少し驚いた。
「私はイシュ様が勝利なされると信じています。出動させる部隊は一つ、でよろしいのですね。明日の朝までに手配しておきます。ですから――」
部下は少々大袈裟なぐらいにかっちりと敬礼を決めた。
「どうか死なずに御帰還ください!」
その真剣な様子に、イシュは思わずぱちぱちと意味もなくまばたきを繰り返してしまう。
「その時は熱い紅茶にケーキのフルコースをご用意させていただきます。なんなら上等な蜂蜜もつけますが」
「ああ……」
部下が冗談混じりに笑ったのを見て、やっと理解する。
彼はイシュの身を心配してくれたのだ。イシュの胸に温かさが広がる。だけど同時に、冗談でも死を仄めかしたことを後悔していた。
「そうだな……。それに特大のアップルパイがついたら文句ないんだけど」
「む……。相変わらずよく食べますね」
「生憎運動量が違うんだよ」
飄々としているイシュに、部下は小さくため息をつく。
「わかりました……。そちらも手配しておきます」
「プラス広い湯船で泡風呂」
「…………」
「マッサージも付いたら最高だなあ」
「……イシュ様」
「返事は?」
「…………。……了解しました」
しぶしぶ、といった感じで部下が頷く。イシュはそれを見て小さく笑った。
自分にはこんなに立派な部下がいるのに、何を心配することがあるのだろう。
自分は死なない。死なずにゾルヴァを殺す。ただ、それだけだ。驕りでも何でもなく、自然にイシュは、そう思った。
もし神というものがいるとしたら、選ぶのはどちらか――生き残るのはどちらか。
決戦の日の、夜が明ける。
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