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愛のことば [作者:那音]

■11

次の日、私は彼に会いに隔離病棟に向かっていた。
昨日は結局泣き疲れて眠ってしまって、朝起きた時目がすごいことになっていて驚いた。
兄は、あの後どうしたのかわからない。連絡は一つもなくて、実家に帰っているのか確認するのもなんだか怖くて、結局わからずじまいだ。
これから、どうしたらいいのかわからなかった。
兄が突然やってきてああいうふうに告げたということは、多分兄だけじゃなく両親も彼との交際を続けることに反対しているんだろう。
そう思うだけで泣きそうになる。今までずっと認めてくれていたのに、どうしてこんなことになってしまうんだろう。
彼の病気が治ればそれでいいけど、もし治らなかったら。治らなかった、その時は――別れなければ、ならないんだろうか。
涙が出そうになるのを必死にこらえた。こんなところで泣くなんて恥ずかしすぎる。
周囲の反対を押し切って結婚したという人をよく聞くけれど、そんな人が信じられなかった。私には勇気がなくて、そんなことできない。
もう本当にいっそのこと二人でモンゴルへ駆け落ちしてしまおうか。
そうして見る二人で見る地平線は、どんなふうに見えるんだろう。
この世のものとは思えないほど美しいのか、それとも。
ふと、なんとなく似ているなと思った。
昔、映画で見たことがあるような気がする。周囲に結婚を反対された女性が、駆け落ちのことを考えながら彼氏の元へ向かうシーン。
あれは、なんという映画だっけ。名前は忘れてしまったけど、そのあと女性は、女性とその彼氏は――どうなったんだっけ。
忘れてしまったけど、街並もこの薄い青の晴天も似ている気がした。少し古い、寂れた感じがする裏通りを眺めていた私は、そして、それに気付いた。
薄い青の空に上る、煙。
それは薄く細く天に上る煙じゃなくて、まるで天を染めるように何かを警告するように大きく広がるどす黒い煙。そして鼻に届いてきたのは焦げくさい匂い。
それは、明らかに火事を連想させるもので、明らかに火事の光景だった。確かな炎は見えてはいないけれど、確かにそれは。
そして、煙が上がっているこの方向は。この距離は。

彼がいる、隔離病棟。

とっさに駆け出していた。駆け出したばかりだというのに心臓が高鳴る。
ざわざわと鳥肌が立つ。酸素が一気に薄くなったかのように息がしにくかった。
あっという間に息があがったけど、走る足は緩めない。全力で、走る。
彼は。
彼は私を一人になんかしない。彼は私を一人になんかしない。
神に祈らない私は、まるで呪文のようにそれだけをただひたすらに思っていた。


隔離病棟が、燃えていた。
全力で走ってきた私は、ただその光景を呆然と見つめているしかなかった。
炎は見えない。だけど唯一の玄関と数少ない窓からどす黒い煙が吐き出され、天に上っていく。少し離れたここでも息がしにくいぐらいの煙だ。
炎は見えないけれど、中ではひどく燃え続けているようだ。
病棟の周りには人が数十人集まっていたけれど、消防車はまだ来ていない。
その人々の中に避難した医者や従業員はいたけど、患者の姿はなかった。

――患者は、どうなるんだろう。

感染経路がわかっていないウイルスの患者は、外には出せない。
でもこの緊急事態で患者を避難させないなんて、そんなのは非人道的だしあるわけない。
だとしたら、患者はどこに避難させられるのか。
私はまた走り出した。
非常口。今はそれしか考えられなかった。



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