愛のことば [作者:那音]
■13
「……大丈夫?」
何とか自力で起き上がろうとしている少年に手を差し出すと、彼は驚いたような青い目を私に向けて「あ……」と小さく声を漏らした。
「あなた、は……」
多分、彼から私の事は聞いているんだろうなと思った。彼はきっと、私の写真だって持っていただろうから。
「怪我とか、してない? 火傷は?」
取り出したハンカチを少年の煤けた頬に押し付けると、少年は唐突にくしゃりと顔を歪め、涙をこぼした。
「ご……ごめんな、さい……」
その真っ青な瞳から零れ落ちた涙が、頬に押し付けたハンカチに染み込む。
「俺、俺の、せいで……俺のせいであの人が……!」
そうして少年はごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら繰り返して、なんだか私まで泣きそうになる。
でも、違う。そうじゃない。
「……いいの」
すっかり煤だらけになってしまったハンカチではなくて、少年の頬に添えた手で、涙を拭ってあげる。
「彼は、彼らしくあなたを守ったんだから。あそこであなたを助けたのは、彼にとって当然なの。助けなかったら彼じゃなくなっちゃうの。
……今回は、彼自身を助けることまで彼の力が及ばなかっただけ。だから、いいの」
そう。それが私の彼なのだ。それが私が恋し愛した彼で、彼が、そうであろうとする彼。
だから、私は。
彼は彼の全力で、周りの人全部を助けてくれる。だから私は、彼が彼自身を助ける事ができなかったときに、彼を、助けてあげる。
それが、私なのだ。
「ちょっと、大丈夫?」
ふとあの受付の女性が駆け寄ってきて、この少年だって感染者なのに臆せず近づいてきてくれることが、嬉しかった。
「すみません、この子、お願いしてもいいですか」
「え、いいけど……どこ行く気なの?」
頼みながら立ち上がると、女性は少年を気にかけながらも私を見上げてきた。その目にあるのは私に対する心配で、ああやっぱり、嬉しいなと思う。
「彼の、ところへ」
「駄目よ!」
でもいきなり叫んで私の腕をつかんできたことには、驚いた。
「中はまだ燃えてるんだよ。もっと勢いが増してるかもしれない。
それに非常口まで迷わないで行って彼を助け出したとしても、煙を吸いすぎて死んじゃう!」
女性は本当に必死に私を引き止めようとしていて、手は痛いほど強く私の腕をつかんでいて、
それは絶対に離さないという意思さえ感じられて、涙が出そうになった。
赤の他人である私を心配してくれて、ありがとう。でも、駄目なのだ。
「ごめんなさい。私、行かなきゃ」
「なんで! もうすぐ消防車が来るから。だから、きっと彼を助けてくれる。あなたが行くことなんてない!」
「駄目なんです。それじゃ」
彼が、少年を助けなければ彼ではなくなってしまうように。私も、彼を助けに行かなければ私ではなくなってしまうのだ。
そしてそれより何より、世界で一番大切な彼を、私は絶対に失いたくないから。彼を失ったら、私は生きていけないから。だから、行くのだ。
「私は、彼がいないと駄目なんです。だから、行かせてください」
女性は、身を切られるような辛い顔をして――痛いほどにつかんでいた私の腕を、離した。
「……死んじゃ、駄目だよ」
「はい。……ありがとう、ございます」
そうして私は女性と少年に背を向け、駆け出した。
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