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愛のことば [作者:那音]

■12

窓のない病棟をぐるりと回って、玄関とちょうど正反対の場所に非常口はあった。
私の予想通り、そこには患者を含むたくさんの人がいた。
当然ながら無事だった患者と医者や従業員は少し離れて、それぞれひとかたまりになっていた。
ただ火傷や酸欠を起こした患者には一部の医者が手当てをしていた。感染を恐れずに、だ。とても勇敢な姿だと思う。
私はそこにいる患者をざっと見る。彼の姿は、ない。焦った。彼はどこにいるのだろうか。まさか、まだ中に? 
その時私は人々の中に見知った顔を見つけた。
かたまりから少し離れたところにいる、スーツ姿の女性。いつも面会室まで案内してくれる受付の無表情の女性だ。

「あの……」

「あ、あなた」

声をかけると、女性はすぐに私に気付いてくれた。さすがに三日もあけず面会に来ていれば顔も覚えられるか。

「あなたの彼氏……まだ出てきてないわよ」

女性は私が問う前に、答えてくれた。

「なんでも率先してみんなのこと避難させてたみたいよ。患者も医者も。全くこんな時に冷静ぶっちゃって、さっさと出てくればいいのに。
…………あ、ごめん」

「いえ。いいんです」

その女性の言葉に、胸が温かくなる。彼はどんな時だって彼らしい。
いつだって人のことを考えていて、自分よりも先に人の心配をして、そして彼を誰よりも大切に思っている私のために、自分も無事に帰ってくる。
彼は、そういう人なのだ。人の命も自分の命も、どれだけ大切なものなのか、ちゃんと知っている人なのだ。
だから私は、不安なんて吹き飛ばすことができた。彼を信じることができた。
彼は他の患者もみんな助けて、そして自分も帰ってくる。彼はそんなヒーローのような人なのだと、私は知っているから。
私は非常口を見る。そこからは絶えず煙が吐き出されていて、その奥には炎もちらついている。
そんなところから人が出てこれるようには見えない。だけど、それでも、私の彼は出てくると、信じられた。
だから――
非常口の奥から何度か咳きの音が聞こえてきて、煙の向こうから瞳の青い――アルビノの――少年に肩を貸した彼が現れても、 私は驚かなかった。
煙の向こうから現れた彼は、服の所々を焦がし頬を煤だらけにして、だけどぐったりとした少年を気遣いゆっくりと歩いてくる。
現れた彼に周囲は一瞬どよめき、彼はその声に顔を上げそしてすぐに私を見つけて、あの優しい笑顔を浮かべてくれた。
私はなんだか泣きそうになって、だけど嬉しくて、笑う。
私は彼の元へ駆け出した。やっぱり彼は帰ってきてくれた。私を悲しませたりなんかしなかった。私を一人になんてしなかった。
彼はやっぱり私の知る彼なのだと、証明してくれた。
だから私は私らしく、帰ってきてくれた彼を強く抱きしめたいと思った。
だけど。
危ない、と誰かが叫んだ。
彼が歩いてくる非常口の天井。それが熱に耐えられなかったのか、唐突に大きなひびが入り、崩壊した。
その瓦礫が、真下を歩いていた彼と少年に降りそそぐ。
周りから悲鳴が上がり、私はとっさに叫んだ。それはただの悲鳴だったのか、彼の名前だったのかはわからない。
だけどその声が彼に届いたのか、彼は私を見てとっさに―――少年を外に突き飛ばした。
少年は乱暴に地を転がり、だけど瓦礫に押し潰されることはなく、そして彼は、瓦礫の向こうに消えた。
足が止まった。彼の姿が見えなくなったことに猛烈な不安を覚える。
数人の患者や医者が瓦礫で埋まった非常口に駆け寄ってなんとか瓦礫をどかそうとするが、一目でわかる。
あれは人の手でどうにかできるようなものじゃない。でもそうじゃない、そうじゃなくて。
私の目に焼きついたのは、瓦礫の向こうに消える前の、彼の瞳。
彼の瞳は真っ直ぐに迷いなく私を見ていて、そこにあったのは恐怖でもなんでもなく、
ただ少年を頼むとでも言うような強い強いただ少年を守ろうとする意志だけ。
つまり彼は、彼なのだ。どこまでいってもどんな時でも、あんなとっさの瞬間まで。
だから私は彼がいなくなった絶望に思考を停止させるとか、そういうのじゃなくて、足を動かして地に転がった少年に駆け寄った。
彼は、私にこの少年を任せたのだから。



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