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愛のことば [作者:那音]

■17

彼は拳を強く握り締めて、恐怖を押し殺したような顔で、ぽつりと言った。

「でも、君までこんな怖いところに巻き込みたくなかった……!」

血を吐くように言う彼に、涙が出た。彼が本当に愛しくて、彼を抱き締める。
でもそうじゃない。そうじゃないのだ。

「ねえ、そうやって一人で抱え込もうとしないでよ……」

彼は、他人のことも私のことも自分のことも守ってくれる、ヒーローみたいに強い人。
だけど本物のヒーローよりは強くなくて、だから私はそんな彼を守りたいと、ずっと願っていたんだから。

「怖いなら、私がそばにいてあげるよ。助けが来るまで待ってるなら、あなたが怖くないように私も一緒にいてあげるから」

彼は、本当に私のことを想ってくれている人なのだ。いつだって私のために行動してくれて、
いつだって私に優しくしてくれて、でも時々私を想うばかりに私の気持ちを無視してしまうような、ちょっと身勝手な人なのだ。

「ねえ、一緒にいてよ。私はあなたがいないと駄目なんだよ……」

涙が頬を伝って床に落ちた。
彼の右手が背中に回り、私は彼を強く抱き締める。

「私は、誰よりも何よりもあなたが好きなんだよ……。お願いだから、ほんの少しでも私から離れようとしないで」

彼は少しも動かずに私の腕の中にいて、ただ小さく「……ごめん」と呟いた。

「ううん。いいの」

彼の髪に頬を寄せて、そっと目を閉じる。
頭の中に濃い霧がかかったようにぼんやりして、だけど頭痛はどんどん酷くなって、なんだかうまくものを考えられなかった。
――ああ、思い出した。
ぼんやりとした頭で、思う。
昔見た、あの映画。あれは確か戦争の話で、愛し合う女性とその彼氏は、戦火に巻き込まれて二人一緒に死んでしまうのだった。
やっぱり似ている、と思う。私たちはまだ死んではいないけれど、戦火の中二人寄り添う姿は、今の私たちに似ていると思った。

「……ねえ」

目を閉じたまま、ぼんやりと言う。

「ここから、出たら……映画とか、演劇とか、またいろいろ見に行こうね……」

ぼんやりとしてしゃべるのも億劫だったけど、思い描いた未来を、もう駄目かもしれないと思う自分を叱咤するように――しゃべる。

「……う、ん」

腕の中で、彼が掠れた声で頷く。

「俺は、地平線が……見たいな……」

「うん。行こうね……。モンゴルにも、絶対……」

ぼんやりする。体の中の酸素が足りなくなって、何も考えられなくなる。彼も、私も。
ぼんやりとして何もかもがわからなくなる中、それだけはわからなくならないように、彼を抱き締める腕に力を込める。

「ねえ、愛してるよ……」

私の存在と、彼の存在を確かめるように、私と彼の言葉をこぼす。

「ずっとずっと……好きでいるから……」

でも違うな、と思った。
この気持ちは、そうじゃなくて。
恋しいとか愛しいとか、そういう言葉では、表し切れない。
好きとか愛してるとか、そういう言葉では、どうしようもないほどに足りない。
この気持ちを表し切れる愛のことばなんて、この世界に存在するんだろうか。
何千回も何万回も愛してると言ったって足りないこの気持ちを、表すことばが――
言葉にできない私はだから少し目を開けて、探るように唇を彷徨わせて、彼の血の色をそのまま映した青い唇に、そっとキスをした。
このキスで、言葉にできないこの気持ちが、伝わればいいなと思った。
彼はもう何も言わなくて、もう少しも動かなくて、静かに目を閉じていた。だけどまだ息はしている。彼は浅く呼吸を繰り返して、眠っていた。
そうしているうちに、私も眠くなってくる。頭の中の霧がさらに濃くなって、何もかもがわからなくなる。現実が遠くなる。
だけど私は現実を手放す最後の最後に、小さく愛してるよ、とだけ呟いた。

愛のことばは、この世界に存在するのかな。
――私には、見つけられなかったよ。


それは、夢か幻なのか。
でも私は、確かに見た。
どこまでも広がる草原と、彼の血のような綺麗な青の空。
その彼方にあるのは、彼が見たいと願った、地平線。
それはあまりに美しくて、涙が出るぐらいに――綺麗だと思った。
ふと名前を呼ばれたような気がして振り返る。その先では彼が優しく笑っていた。
彼は私の隣に立ち、私の手をそっと握った。彼の手はただひたすらに温かくて、私たちはくすぐったさに笑う。
そうして私と彼は、二人で綺麗な地平線を見つめ続けた。


その時私は、どうしようもないぐらいの愛のことばを、見つけた気がした。


↓あとがき

この作品からあの退廃的で灰色のイメージを少しでも感じていただければ、とても嬉しいです。
でもやっぱりまだまだですね。スピッツの世界を表現するのには全然足りないです。精進します。
ひっそりと盛り込んだテーマは「突き詰めた愛の先にあるもの」と「世界の美しさ」です。ラブストーリーを書くのはやっぱり楽しい。

ちなみに……主人公の“私”と“彼”には一応名前をつけていますが、ここはあえて書きません。
こっそりと教えてーと連絡をくださればこっそりと教えるかも(笑)

↓目次

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