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夜を駆ける [作者:すず]

■十

バス停がある道は、相変わらず暗く、人通りも無かった。
もうバスが来る時間だ。わたしも男のひとも、黙ったままだった。
たった数十分、一緒に散歩をしただけ。
それだけなのに、わたしは男のひとが行ってしまうのが寂しかった。行かないでほしかった。
もちろん、そんなわがままは言えるはずも無いのだけれど。

一時四十五分。道の向こうから二つのライトが近づいてくるのが見えた。
定刻どおりにバスはやってきた。いつもこの街を走っている、銀色のボディにえんじ色のラインが入っている路線バス。
乗っている人は誰もいない。

バスが停まり、ドアがゆっくりと開いた。男のひとはバスの入り口に片足をかけ、わたしのほうに振り向いた。
さようなら、と言おうとしたが、口がうまく動かない。何か言葉を発したら、また泣いてしまいそうだ。
わたしが声を出すより先に、男のひとが口を開いた。

「寂しい想いをさせてごめんね。マキ。」

そして、男のひとの最後のことばで、わたしは全てを悟った。

「でも、僕が見守る役目はもう終わりだよ。洋平くんと幸せになりなさい。」

 

え。

 

その途端、ブザーが鳴り、バスの扉が閉まった。

ぶうん、と排気ガスを撒き散らし、バスは出発した。
刹那、わたしは走りだした。待って、と、声にならない声で叫びながら。
バスの後部座席に人影が見えるが、もう振り向いてはくれない。

待って、父さん。

バスはどんどん加速していく。全てを確信した。あの男のひとは父さんだった。

泣きたくなったのは、父さんだったからだ。
好きだと思ったのは、父さんだったからだ。
離れたくないのは、父さんだったからだ。

バスはどんどん小さくなるけれど、わたしは追いかけるのをやめることができない。
夜のなかをひとり、わたしは駆けていた。
バスに追いつこうと必死だったが、追いつけないことは分かっていた。
それでもわたしは走り続けていた。

本屋の角を曲がった次の瞬間、あっ、と小さく声を出し、わたしは立ち止まってしまった。

 

バスのタイヤが、地上を離れた。車体が、ふわりと宙に浮いていった。

バスは走りながら、どんどん上昇していく。後部座席の人影も、赤いマフラーも、はっきりと見えた。
信じられないが、バスは夜空を駆けていた。
月に向かって、徐々に小さくなっていくバスの後姿を、呆然としながら見続けていた。

バスが見えなくなるその時、後部座席の父さんがこちらを振り返ったように見えた。
振り返り、優しく笑ってくれたように見えた。

バスはそのまま、月に吸い込まれるように消えていった。

 

バスは行ってしまった。父さんを乗せて、空に帰ってしまった。
ひとりになった夜道で、わたしはただずっと空を見上げていた。

父さんは帰ってしまった。

その寂しさと、父さんに会えた嬉しさが、わたしのからだ全体をぐるぐると巡っている。
寂しいけれど、悲しくはなかった。

ありがとう、父さん。最後に会いにきてくれたんだね。小さな声でつぶやいた。

月は、さっきよりも明るさを増したように見えた。
そして、わたしは急に、ようちゃんに会いたくなった。



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