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夜を駆ける [作者:すず]

■五

何度も歩いた道なのに、昼と夜とでは雰囲気がまるで違う。
自販機の明るさに驚き、前を通ると自動的にポッと点く玄関の灯りに驚き、川の水音の大きさに驚く。
駅前に行くと、終電はもうとっくに出たらしく、人影はほとんどない。
寒い中、CDショップのガラスの前でダンスの練習をしている高校生たちがいるくらいだ。
無駄に色遣いが多い、センスの悪いイルミネーションの電気も消えていた。
昼間あんなに街に溢れていた人たちは、どこに行っちゃったんだろう。
皆、するすると、夜には暖かい部屋の中へ戻っていくんだなぁ。
街の中にいる人たちは、みんな楽しそうに見えるけど、そこは本当の居場所じゃない。帰るべき場所はそれぞれにあるのだ。

青信号を渡り(誰もいない時でも、信号はきっちり守るべし、と常々思う)薬屋の角を曲がると、遠くにバス停が見えた。
暗い中、目を凝らしてみると、バス停のベンチに座っているひとがいる。
街灯のない暗い道なので見間違いかと思ったが、確かにいた。
腕時計を見ると、午前一時。タクシーでも待っているのかな。
ちょっと気になって、そろそろと近づいてみた。若い男のひとだった。
黒いコートに映える赤いマフラー。大きなボストンバッグをベンチの脇に置いていた。
ここは暗いし、男性とはいえ、ひとりでいるのは危なそうなのに。そう思って声をかけてみた。

「こんばんは。」

わたしの声を聞いて、男のひとはこちらを向いた。
黒目がちの、ちょっと垂れた瞳。ようちゃんとは違う、真っ黒で硬そうな髪の毛には、ところどころ白髪が混じっている。
若いと思ったが、わたしよりは年上なようだ。

「こんばんは。」

眉毛を上げて、少し驚いた顔で、男のひともそう答えた。物腰の柔らかそうなひとだと、それを聞いただけで思った。

「あのう、タクシーか何かをお待ちでしたら、駅前のほうがいいですよ。
あっちなら屋根も街灯もあるし…。」

おせっかいだったかな。言ってから少し後悔した。
続けて男のひとは答えた。

「いや、いいんです。バスを待っていますから。」

…バス?腕時計をもう一度見た。やっぱり午前一時。最終バスなんてとっくに出ている。ここには夜行バスも停まらない。

「バスって、こんな真夜中に?」
「ええ、ちゃんと来ますよ。時刻表にも載っています。」
男のひとは、コートのポケットから、カード形の小さい時刻表を出した。
『1:45発 月が丘行き』の文字が、それには書かれている。確かにバスは来るらしい。

「あなたは?女性がこんな時間に一人歩きは危ないですよ。」
「いえ、ちょっと近所を歩いているだけですから。あの、あなたはどこかへご旅行へ?」
大きなボストンバッグは、ぱんぱんに膨らんでいて、相当重そうだった。
尋ねてから、ただの通りすがりなのに、ちょっと色々聞きすぎたかな、とまた後悔した。

男のひとは、ふっと恥ずかしそうに笑った。ひとが良さそうな感じの、優しい笑顔だ。

「いや、旅行ではないんですけどね。仕事の都合上こっちに住んでいたんですけど、元の住まいに戻ることになりまして。」
「あ、そうなんですか。単身赴任を終えて実家に帰る、ってことですね。
やっとご家族と一緒に住めるんですねぇ。」
「まぁそんなところです。これから向こうで妻と二人暮らしですよ。」

男のひとはぐるりと辺りを見回した。
「一人暮らしは大変でしたけど、いざここを離れるとなると寂しいもので。住みやすい街でしたから。」

ここを離れるのが寂しい。あぁ、わたしと同じような気持ちのひとがいるんだ。
偶然出会ったこのひとに、急に親近感がわいてきた。

「あの、偶然ですけど、わたしも明日ここから引っ越すんですよ。
それで、最後に散歩したい気分になって。真夜中だっていうのに。」
「あぁ、そうなんですね。偶然だなぁ。」

男のひとは一瞬黙って、わたしを見てこう言った。
「よかったら、バスが来るまで、ご一緒に散歩してもよろしいでしょうか?
僕も最後にこの街を歩いておきたくなりました。
もちろん、お一人の方がよければ遠慮なく言ってください。」

夜中に、初対面の男のひとと、一緒に散歩をする。
いつもなら絶対にそんなことはしないけれど(そもそも、そんな機会もないけれど)ちょっと面白そうかなと思ってしまった。
小心者で用心深い性格なのに、何故か、断るという選択肢が、わたしの中には全くなかった。

「もちろんいいですよ。一緒に歩きましょう。」

男のひとはバッグを手に取り、立ち上がった。瞬間、柑橘系の香水のいい香りがした。
「じゃ、行きましょう。」
ずり落ちた赤いマフラーをかけ直して、男のひとは歩き出した。わたしも並んで歩き出した。
「なんかちょっとわくわくしますね。バスの出発までは45分ありますけど、疲れたらいつでも言ってください。」
目尻を下げて、男のひとが笑った。またあの優しい笑顔。
その笑顔につられて、わたしも思わず、ふふ、と笑った。



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