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夜を駆ける [作者:すず]

■三

「引越しの準備はどう?マキちゃん荷物持ちだから、結構大変でしょ。」
サラダを取り分けながら(ようちゃんはパプリカ多め、わたしはオニオン多めで。)ようちゃんが尋ねた。
「うーん。まだこれからかな。洋服は売ったり譲ったりできるけど、本や雑貨は勿体なくて、なかなか捨てられないの。」
「今度のアパートは収納少ないからなぁ。俺も荷物多いし、何とかしなきゃなぁ。」

ようちゃんとわたしは、もうすぐ結婚する。来月から一緒に住むので、今は引越し準備の真っ最中なのだ。

「マキちゃんが引っ越す日はもちろんだけど、荷造りも手伝うからな。ひとりじゃ大変だろ。」
「うん、ありがと。」

誰かと一緒に住むのは五年ぶりだ。
大好きなようちゃんと暮らす自分の姿を想像すると、胸の奥がくすぐったいような気持ちになる。
それはとても自然な光景のような、でも遠い世界の光景のような、そんな感じ。
ゆるやかな音楽が流れる、暖房の効いた店内で、わたしは幸福感にうとうとした。
白い壁に映る、ようちゃんとわたしの影。
でも、こんなに満ち足りた時でも、夜の寂しさは完全には拭えない。
いまわたしは孤独じゃないのに。ようちゃんが隣にいるのに。

「わたしの父さんも母さんも、ようちゃんに会ったら気に入ってくれたんだろうな。」

わたしの言葉を聞いて、ようちゃんが優しく笑い、その端正な顔に似ない骨太な手で、わたしの髪をなでた。
ほてった耳に、ひやりとしたようちゃんの指が触れる。

「引越しが済んだら、またお墓参りに行こうね。マキちゃんのお父さんとお母さんに、改めて挨拶するよ。」

ようちゃんの優しい言葉に、ほんの少し泣きそうになる。ありがとね、わたしは小さな声でそう答えた。

わたしの父さんと母さんは、今はもういない。
わたしが生まれる一ヶ月前に、家が火事に遭った。不審火が続いていた、冬の夜だった。
母さんは何とか助かったが、家も家具も何もかも焼き尽くし、父さんも亡くなった。
わたしはまだ母さんのお腹の中だったし、写真も全て焼失してしまったので、わたしは父さんの顔を知らない。
女手ひとつでわたしを育ててくれた母さんも、今から5年前の冬の夜に、交通事故で亡くなった。
ようちゃんに出会ったのは3年前だから、父さんはもちろん、母さんも、ようちゃんを知らない。

もし父さんと母さんが生きていたら、ようちゃんとどんな話をするんだろう。
父さんは洋楽が好きだったって、母さんがよく話していたなぁ。ようちゃんも洋楽好きだから、話が弾むかもしれない。
母さんはアクション映画が好きだから、好みが同じようちゃんと映画談義をするのかな。
そんなことを想像して、少し楽しい気分になる。でもすぐに、切なさに襲われる。

できないんだから、そんなこと。

夢物語は楽しいけれど、そのぶん現実の空しさを思い知らされる。

明日は引越しの準備をしよう。タカコに譲る約束をした赤いトレンチコートを届けに行こう。
日曜はまたようちゃんと会える。一緒にカーテンを探しに行こう。部屋が沈まないように、明るめの色がいい。

ようちゃんとキスをして別れた後、もうすぐ離れるアパートの中でひとり、そんなことを考えていた。
そして、夜の終わりを待ちながら、わたしはまた布団にもぐりこんだ。




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