スピッツ歌詞研究室 オリジナル小説
スピッツ歌詞TOPオリジナル小説夜を駆けるTOP>夜を駆ける_04

夜を駆ける [作者:すず]

■四

「師走」とは、誰が名づけたのか知らないが、まさに名前の通りだと毎年思う。
引越しの忙しさも手伝って、あっという間に、クリスマスもお正月も過ぎてしまった。
お正月には、ようちゃんの実家へ挨拶に伺った。
何度も会っているけど、やっぱりお父さんもお母さんも、ようちゃんに似ているね、と言ったら
「親が」じゃなくて「俺が」親に似ているんでしょ、と笑われた。
新しいアパートに合うカーテンも買った。(クリーム色で、ドレープの具合が理想通りの美しさなのだ。)
二人掛けの新しいソファも買った。電気やガスの手続きも済ませた。
大学を卒業してから勤め続けた会社も、先週退社した。
引継ぎのため連日残業で、感傷的になる余裕はなかったが、最終日に後輩ののりちゃんから花束を貰った時は、少しじんときた。

光陰矢の如しとは、こういうことを言うんだな。
明日はもう引越しだ。5年間ひとり暮らしをした、このアパートを離れる日。
昼間ようちゃんに手伝ってもらったおかげで、荷造りはあらかた終わった。
この部屋で過ごす最後の夜。
カチカチカチという置時計の針の音が、いつもより大きく聞こえる。

少しほこりっぽい部屋の空気を入れ替えようと、窓を開けた。冷たい空気が、部屋の中へ流れ込む。
二階から見える、いつもの風景。いまどき珍しく、銭湯の煙突が見えるこの風景が好きだった。
川沿いの桜がよく見えるから、部屋にいながらお花見が出来るのも好きだった。
はす向かいの家で飼っている、よく吠えるスピッツも、いまは静かに眠っているみたい。

このアパートは5年目だけれど、この街には生まれてからずっと住んでいる。
小さい時によく行った駄菓子屋さん「たまるや」も、母さんと一緒に通っていた歯医者さんも、
中学時代の親友さやかちゃんの家も、今はもうない。
何も変わっていないように見えるこの街も、少しずつ、だけど確かに変わっている。
父さんがいなくなり、母さんがいなくなり、わたしもここからいなくなる。
それでも時間がゆるやかに流れるこの街が、わたしは好きだった。
わたしをかたちづくってくれた、この街。ここから離れる寂しさを、今頃になって感じた。

空を見ると、月がぽっかり浮かんでいる。食べかけのどらやきのような、きれいな半月。

ちょっと、外を歩いてみようかな。

夜に出歩くのは苦手だけれど、今夜は不思議とそんな気持ちに駆られた。
最後の夜だったから、かもしれないし、見えない何かに誘われたから、かもしれない。

白いぽんぽん付きのニット帽を被り、紺のピーコートのぼたんをきっちり留める。
散歩のおともに、ハチミツ味の飴もポケットに忍ばせておこう。
風邪をひかないように、ざっくりした白いウールのマフラーも首に巻きつけた。

少しの勇気を出して、アパートの扉を開ける。
月明かりに照らされて、もこもこしたわたしの影が、細長く道路に映った。



↓目次

【1】 → 【2】 → 【3】 → 【4】 → 【5】 → 【6】 → 【7】 → 【8】 → 【9】 → 【10】 → 【11】