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死神の岬へ  [作者:直十]

■7

  次の朝目覚めると、隣に玲奈がいなかった。
  慶吾と玲奈には同じ部屋があてがわれていた。そこの二つのベッドを、二人で一つずつ使っている。
  いつも……というよりはここ三日は慶吾のほうが早く起きていたのだけど、この日はすでに隣のベッドに玲奈はいなかった。
  慶吾はベッドから降り、部屋を出て家を出る。遠くの畑では青年が昨日のように土を耕していた。だけど見渡せる限りに、玲奈の姿はない。
  慶吾はふらりと歩き出した。ここから行ける場所などそうない。適当に歩いていれば見つかるだろう。そう思いながら、歩き出した。


  何の跡だったのか、この岬には点々と廃墟がある。もうぼろぼろに朽ち果てていて、中に入るのは少し危険に思える廃墟だった。
  慶吾はその廃墟を回っていた。そして案の定、五つ目の廃墟で玲奈を見つけた。
「玲奈」
  玲奈は、しゃがんで何かをしていた。呼ぶと玲奈は振り返り、慶吾、と安堵したような声を出した。
「なにしてるんだ?」
  言いつつ、慶吾は玲奈の手元を覗き込む。
  そこにいたのは、気だるげに横たわった犬だった。
  首輪をしていないから野良犬だろうか。犬の年齢などよくわからないが、その野良犬は歳老いて見えた。
  疲れているのか、もしくはもう歩く力もないのか、野良犬は慶吾たちを見ても逃げようとしない。
「この子……ここに迷い込んできたみたい」
  玲奈は野良犬の汚れた体を何の躊躇いもなく撫でた。
  それでも野良犬は気持ちよさそうにするわけでもなく、ただ疲れたように目を伏せて、玲奈のするに任せていた。
「この子も、私たちみたいに死に場所を求めてきたのかな」
  昨日の青年から聞いた話は、昨晩玲奈に話していた。
  玲奈はその話に多少驚きはしたようだったが、全てを話し終えたときには妙に納得したような顔をした。
  慶吾だってそうだった。ここは不思議な場所でその正体を知るまでは不安だったけれど、
  あの世でもこの世でもない場所だとわかってしまえばこれほど納得できるものはない。
「この子、ここで死ぬつもりなのかな」
  ここじゃ、死ねないかもしれないのに。そう玲奈が小さく呟くのが聞こえた。
  ここには時間という概念がない。青年はそう言った。
  つまりここの時間は止まっているのと変わりないということで、だからきっとやがて来る死を待つためにここにきたこの野良犬に、
  いつまでたっても死は訪れない。
「……でも、ここなら老衰では死なないかもしれないけど、餓死はするかもしれない。ここに死にに来たなら、多分何も食べないだろうし」
  そう言うと、玲奈は非難がましく慶吾を見た。睨んだと言うほうが正しいかもしれない。
「そんなの、やだ」
「そんなこと言ったって……どうするんだよ」
「あの人に食べるもの貰う。この子にあげる分ぐらい、あるでしょ」
  玲奈はやはり躊躇わずに野良犬を抱き上げた。野良犬は特に抵抗するわけでもなく、玲奈の腕の中で大人しくしていた。
  慶吾は着ている制服が汚れてしまうと思ったが、玲奈にはそんなことは関係ないらしい。玲奈はそのまま青年の家のほうへ歩き出した。
「なあ、玲奈」
「……何」
  呼び止めると、玲奈は少し面倒臭そうに振り返った。
「そいつ、ここに死にに来たんだぞ。多分、助けられることをそいつは望んでないんじゃないのか」
  野良犬に食べ物を与えるということは、野良犬を生かすことになる。死ぬためにここにやってきた野良犬を。死を望んでいる野良犬を。
  玲奈は今度こそ……敵意を露わにして慶吾を睨んだ。
「だって、ほっとしたもの」
「は?」
「あの人だって、ここに死にに来た私たちを助けてくれたじゃない。でも私、全然迷惑なんかじゃなかった。
迷惑どころかほっとしたもの。私まだ生きてるんだって思ったら、ほっとしたもの」
  それは、慶吾が初めて聞く玲奈の心だった。思えば慶吾は玲奈が自分についてきた理由も、あの夜路地裏でうずくまっていた理由も知らない。
  玲奈が今までどう感じどう思ったのか、その心中さえも知らなかった。
  だからそれはどこか新鮮で、だけどとても悲しく響いた。
「だから私は、この子を助けることが間違ってないって信じたい。この子が私と同じ立場なら、生きててもいいじゃない」
  どこか悲鳴のように叫んで、玲奈は慶吾に背を向けて駆けて行ってしまった。
  ――ほっとした、か。
  遠ざかる背中を眺めながら、慶吾はぼんやりと思う。
  玲奈は自分が生きていると知った時ほっとした。ならば……ならば自分は? 
  自分は青年に助けられた時、自分が生きていると知った時どう思った?
  わからない。生きていることにほっとしたわけではない。死ねなかったことに落胆したわけでもない。
  まるで思考する器官が麻痺してしまったかのようなぼんやりとした気持ちのまま、今までここで生きていた。
  だからきっと自分は死んでいるんだろうなとそんなことを思いながら、慶吾は俯いたままそっと目を閉じた。



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