甘ったれクリーチャー [作者:直十]
■9
夕暮れ時と呼ぶにはまだ早いけど、太陽がそろそろ傾き始めたころ。
ゾルヴァとリリは、二人揃って泉から小屋への帰り道を歩いていた。
あれから二人で木の実を食べ、二人で泉で遊び、二人で少し話したりしていた。きっとこんなに自分以外の人間と一緒にいたことはない。人間はおろか、魔族とも。
生まれて初めてのそれは、どこか心地よく、安らぎに満ちたものだった。
隣を歩くリリは何がそんなに嬉しいのか、スキップしだしそうなほど上機嫌に歩みを進めていた。ついでに鼻歌まで歌いだしそうだ。
その上機嫌の理由が自分なら、ゾルヴァはなんだか嬉しいような気がした。
頭上でさえずり続ける鳥の声に惹かれるように、天を見上げる。ゾルヴァの優れた視界には、木々の間で飛び合う二羽の鳥が見えた。その二羽の鳥はじゃれあうように枝に留まりくちばしをつつきあっては、唐突に飛び立ち枝々を渡っていく。綺麗な光景だと思った。
ふいに何かが手に触れ天に向けていた視線を下ろすと、リリが何気なくゾルヴァの手を握っていた。
驚いてリリを見つめていると、リリはその視線に気付いたのかゾルヴァを見上げて、
「おてて、つなごっ」
にこっと、笑った。
その笑顔にゾルヴァはくすぐったさを覚えて、だからその小さな手を壊さないように、優しくゆっくりとその手を握り返した。
小さくて、とても温かな手だった。
二人は手をつなぎ、ゆっくりと森の中を歩いていった。
ゾルヴァがいた小屋まで着くと、リリはゾルヴァとつないでいた手を離した。
その手が離れた瞬間少しだけ寂しくなったのを、ゾルヴァはちゃんと自覚していた。
「まじんさん、リリはもうかえるね」
「ああ、そうか」
胸の寂しさは消えなかったけれど、別れ際でも崩れないリリの笑顔に小さく笑みを浮かべる。
「……今日は、ありがとうな」
「うんっ! リリもたのしかった!」
人間に礼を言うなんてきっと生まれて初めてだろうな、と思いつつ去るリリに手を振ろうと手を上げかけた時。
「明日もきていい?」
無邪気に、何気なく、リリが言った。
だけどゾルヴァは、その言葉に上げかけていた手を止める。ゾルヴァは驚きに目を大きくしていた。
「明日……?」
ゾルヴァは、もうここにはいられないと思っていた。自分は魔族だから、自分は追われているから、
もうここから離れなければ――逃げなければいけないから。もうここにはいられない。
だから寂しかったのだ。ほんの少しでも楽しい時間をくれたリリともう二度と会えなくなるのが、寂しかったのだ。
でも、そうじゃない。そうじゃなかった。
明日が、あるのだ。
また明日ここにいれば、リリに会えるのだ。
「明日、だめなの?」
リリの笑顔が初めて曇る。だからゾルヴァは、驚きに笑みを失った唇にまた笑みを灯した。
「……大丈夫だよ。明日、おいで」
「ホント!」
リリの笑顔が輝く。それが嬉しくて、ゾルヴァは笑みを深めて「ああ、本当だよ」と頷く。
「じゃ、明日! 明日くるからね! やくそくだよ!」
「ああ。また明日」
ゾルヴァは今度こそ、リリに手を振る。
「うんっ! また明日!」
リリは手を振りかえして、駆け出す。
「じゃーねー! まじんさーん!」
リリは何度も振り返って大きく手を振る。自分の存在を誇示するように。或いはゾルヴァが自分を忘れないように。
だからゾルヴァは、ずっと手を振りリリを見送っていた。リリの姿が見えなくなっても、ずっとそこに立っていた。
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