スパイダーの悲劇 (作者:ミツル)
スパイダーの悲劇 【2】
<プリシラ>
眠りたくないなって思った。
私、プリシラ。素敵ってわけでもない屋敷に住んでるの。これが海の見える丘の上にでもあったらよかったんだけど。それに、近くに少し不気味な森があれば最高よね。
眠りたくないっていうのはね、最近怖い夢ばかり見るからなの。本当怖い夢よ。坂道の黄金色のキレイに実った稲畑の中を細い腕に私は引っ張られて駆け下りて行くの。私より細い腕。ほとんど骨と皮ばかりだった。そしてね、前の方に黒い闇が集まっているの。モヤモヤしてて触手みたいにその黒い部分を伸ばして、私を飲み込もうとするの。
でも、不思議な夢でしょ? 何かが起こるような気がするの。それが恐ろしいことだとしてもね。
今日は一晩中起きてるって決めたんだけど、退屈でしょうがなかった。お父様やお母様にばれるとまずいから明かりは消してなくちゃならないし、考え事するにもなぜかあの夢のことばかり考えちゃうし。
そうだ。地下室に行ってみよう。行っちゃダメだって母上も父上も言ってたけど、今ならちょうどいいじゃない。みんな眠っているから誰にも見られない。
地下室への階段は真っ暗で、地獄まで続いてそうだった。右手のロウソクだけが頼り。私は足を踏み外さないように慎重に階段を下りた。
地下室には何があるんだろう? 誰も教えてくれないから、単なる物置じゃないってことよ。私に知られたくないものって何なんだろう?
古ぼけた、でも立派なつくりの扉があった。頭の奥の方で警戒音が鳴り響いた。行っちゃだめだって誰かが叫んでいるような気がする。でも、ここまで来て戻るわけにもいかないわ。私はその扉を少しずつ押し開けた。
<ルーク>
足音がしばらく途絶えたかと思うと、その足音の主は扉を少しずつ開け始めた。両開きの扉の開いた隙間から光がもれてきて黒い人影が伸びてきた。服の裾がヒラヒラと見えてきて……
ロウソクの火に照らされて現れたのは、プリシラお嬢様だった。
<プリシラ>
初め扉の隙間からは何も見えなかった。なーんだ、何もないじゃない、と思ったら……
私の目の前に月光に照らされる黒いピアノが現れた。
<ルーク>
僕はハッと息を飲んで壁を支えにして立ち上がり冷たい壁に背中を押しつけた。なんでプリシラお嬢様がこんな時間にこんなところに?
お嬢様は僕には見向きもせずにピアノにかけよりじっくりと眺めた。やがて、ロウソクをピアノの上に置くと(イスがないので立ったまま)
ピアノを弾き始めた。
まず、鍵盤を端から順番に押していった。人差し指だけで、楽しそうに。すべてキレイな音が出た。足のペダルの方も問題なかった。本当にこのピアノは生きていたんだ。それをお嬢様が証明してくれて嬉しかった。けれど何か妙な気分だった。お嬢様はピカピカのピアノを持っているはずだ。この老いぼれピアノをどうして弾いてくれるんだろう? やっぱりお嬢様はこういうものがお好きなんだろう。なんというか、
物語が隠れていそうな、趣深いものが。
そしてお嬢様は何か曲を演奏しだした。当然何の曲なのかはわからない。ただその曲の間に奇妙なことが起きた。
ビスケットにキャラメルソースをからめたような、それでいてブラックペッパーのような旋律に合わせてピアノが輝きだしてきた。光を放っているって意味じゃなくて、キレイになっているということだ。つまり新品のようになったというわけだ。
お嬢様の方を見ると、お嬢様はうっとりと目を細めて弾いていた。細い白い指がなめらかになった鍵盤の上を幻のように踊った。肩に触れている髪の毛の先が甘い香りを漂わせて揺れていた。
曲が終わると僕は反射的に拍手をした。おかしいな、僕はスパイダーなのに。どういう時に拍手するかなんてわかるはずないのに。生まれて初めての拍手だった。本当にお上手だったんだ。
けど、僕はすぐにしまったと思った。お嬢様はひどくびっくりした様子で振り返った。
「誰!?」
ミツル 著