スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

蛍 (作者:なおと)

蛍 【3】

 目をそっと開くと、頬に白い指が触れた。
 夢を見ていた気がする。覚醒し切っていない意識の中で、僕は白い指先で僕の頬を包む彼女を見ていた。或いはそれも、夢の続きだったのかもしれない。
 彼女は僕の顔を覗き込むように、顔を近づける。こんなに近いのに、やはり彼女の顔は見えなかった。ただ白い笑みを浮かべた唇だけが見える。いつも通りの彼女。
 白い唇が、囁くように揺れる。聞こえない。何も聞こえない。彼女の声も。何もかも。
 頬に触れる指先からは、温度というものが感じられなかった。温かくもなければ冷たくもない。温度のない指先。
 彼女は、何度も何度も唇を動かした。だけど彼女の言葉は何一つ、僕には届かない。温度のない指先が僕の頬を撫ぜる。
 彼女の唇は絶え間なく動きながらも、笑みを失うことはなかった。白い笑み。唇しか見えない笑顔。楽しそうに僕に何かを語りかける彼女。
 闇の中で、彼女だけが白い。白い。白い。きっと彼女も、音を拒絶した存在なのだろう。例えるなら音は黒だ。混沌の色だ。底知れぬ恐怖の色だ。その中で彼女は白く、清いままだ。音の黒に汚れない、無音の白。
 そして僕も、闇に浮かぶ白だ。
 やがて彼女は闇に溶けるように消えた。そして僕の意識も再び闇に溶ける。

なおと 著