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サンシャイン [作者:檜山 キョウ]

■ 第1話

コン、と小さな音がした。
読んでいた漫画本から顔を上げて、僕は窓のほうに目をやった。
すりガラスの向こう側に、なんとなく人の気配を感じた。
ヒカリだ。
僕は立ち上がって、窓を勢いよく開けた。案の定、そこにはヒカリの笑顔があった。

「ナオちゃん、ちゃんと勉強してる?」

僕の部屋の窓枠に足をかけながら、ヒカリが言った。
ヒカリはいつもこうして、自分の部屋の窓から僕の部屋の窓へと飛び移るのだ。
まだ僕たちが小学生だった頃には、危ないからやめなさいとよく叱られたものだった。
ヒカリは水色のキャミソールに、ベージュのサブリナパンツをはいていた。
床にほっぽったままだった漫画本を見て、ヒカリはなぜか嬉しそうに微笑んだ。

「……なんだよ」

「いや、ちょっと安心しただけ。私もここ最近、まったく机に向かってないからさ」

「この前、次のテストは頑張る!とか言ってなかったっけかあ」

「それは……ナオちゃんも一緒でしょうが」

茶色いサラサラのストレートを揺らして、ヒカリはまた笑った。
僕とヒカリは幼なじみだ。
生まれたときからずっと一緒にいて、公園の砂場で転げまわったり、草むらでトカゲを追いかけたり、
街中を歩いて探検したり、そんなことばかりしていた気がする。
毎日毎日、全身泥だらけで帰ってくる僕らに、双方の親が苦労していたであろうことは、幼いながらになんとなく分かっていた。
中学生になったら、さすがに毎日泥だらけということはなくなったが、それでも僕たちの関係は変わらずに、
高校生になった今でも、こんなふうにしょっちゅうお互いの部屋を行き来しているわけだ。
そう、もう十六年も同じ時を過ごしているのに、ヒカリは気付いてくれない。

「ナオちゃんはさあ……もう進路とか決まった?」

「進路? なんでまた急に」

「んー」

ヒカリはテーブルの上の水玉模様のグラスを手にとって、カルピスを少しだけ飲んだ。
グラスの中の氷が、カランと涼しげな音をたてた。

「だって俺たち、まだ高一だぜ。そんなこと、まだ考えなくてもいいんじゃないの」

確かに学校の先生たちは、行きたい大学とか、将来の夢とか、早いうちから考えておけと言う。
でも、いくら口うるさく言われたって、決まらないものは決まらないし、なにより実感が湧かないのだ。
身体だけはムダに大きくなったけれど、心はまったく成長していない。
いまだに、砂場で転げまわっていたあの頃のままだ。

「うーん……そうか、そうなのかなあ」

「そうだよ」

ヒカリはどこか納得いかないような声を出した。それからゆっくり立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回りはじめた。
本棚の中の漫画本やCDラックを物色しては、この漫画の新刊出たんだとか、このCD私も持ってるとか、
独り言なのか僕に言っているのかよく分からない言葉を、ぽつぽつとつぶやいた。
なんだか、今日のヒカリはおかしい。勉強とか進路とか、そんな単語、ヒカリの口からはめったに出ない。
いつもなら二人でだべっていても話題はくだらないことばかりで、それが僕には心地よくもあった。

「おい、ヒカ……」

「ねえ、ナオちゃん」

ヒカリは振り返って、僕の顔をじっと見つめた。ヒカリの瞳は細いけれど力強く、なんだか吸い込まれそうだ。

「ナオちゃん、明日ってヒマ?」

「明日?」

「どうせ部活も入ってないんだし、ヒマだよね」

「なんだ、その言い方は」

中学生のときは陸上部に入っていて、走り高跳びをやっていた。
でも、なかなかうまくならない自分に嫌気がさして、二年生になる頃にはもう退部届けを出していた。
それからはずっと、こうして部屋で漫画ばかり読む日々が続いている。
別に、陸上が嫌いになったわけではない。自分が嫌いになったのだ。
できないなりに頑張っていたつもりだったけれど、その間にも優秀な同級生たちはどんどん記録を更新して、
そんな彼らの存在が、なんだかすごく遠くに感じられたのだ。
手の届かないものが多すぎる。陸上も、ヒカリも。

「明日、ちょっとつきあってよ。行きたいところがあるんだよね」

「行きたいところ?」

「うん。ナオちゃんもよく知ってる場所、かな」

そう言ってヒカリは笑ったけれど、その笑顔が、なぜか僕には悲しそうに見えた。
やっぱりヒカリ、なにか悩んでいる。そしてそれを隠している。でもなにに悩んでいて、どうしてそれを隠すのかまでは、僕には分からない。
ヒカリが行きたいところ、僕もよく知っているところ、そこに行けば分かるのだろうか。
ヒカリはまたクッションの上に座って、いつものようにくだらない話をはじめた。
その様子はいたっていつも通りで、さっきの悲しげな笑顔が嘘のようだった。

↓目次

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