タイピング練習
90秒間でタイピングできた文字数を計測します。打ち間違いは1秒のペナルティになります。
日本の歴史を勉強しながらタッチタイピングの練習がゲーム感覚で出来ます。
古墳時代、飛鳥時代の歴史に関する文章をタイピングの問題に入れています。
試験勉強にも活用できるかと思います。


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高校受験対策で、社会の日本史は、記憶が勝負ですが、繰り返し頭に入れていくしかない分野でもあります。このタイピングゲームという遊びを通して、自然に繰り返しインプットできれば良いと思って作っています。なかなか勉強の習慣が身につかない高校受験勉強中の中学生向けに作っています。繰り返し遊ぶことで記憶が定着するといいですね。なかなか勉強しない中学生にぜひおすすめします。かなり長文なのでタイピング練習としては上級者レベルです。


◆タイピング文
・3世紀の終わりごろから4世紀のはじめごろになると、瀬戸内海の沿岸地方から近畿地方にかけて、規模の大きな墓が出現します。このような墓のことを古墳といいます。
・大規模な古墳が近畿地方に多く発見されていることから、近畿地方を中心にクニがつくられていたのではないかといわれています。近畿に生まれたクニを大和政権とか大和国家といい、その政府のことを大和朝廷とよんでいます。
・古墳の形で数が多いのは円墳や方墳ですが、大きな古墳はいずれもカギ穴のような形をした前方後円墳です。
・古墳がさかんにつくられたのは、4世紀から7世紀にかけての時代でした。この時代のことを古墳時代とよんでいます。
・日本の古墳の中で、大きさが最大のものは、古墳時代中期につくられたと考えられている大阪府の堺市にある大山古墳です。仁徳天皇の墓だといわれています。
・古墳時代に、おもに朝鮮半島から海を渡って日本にやってきた渡来人たちによって、大陸の進んだ文化や技術が日本に伝えられました。
・6世紀になると、百済から儒教が伝えられました。儒教というのは中国の孔子がはじめ、孟子や荀子らによって発展した道徳の一種です。
・豪族の中でも力をつけてきたのが蘇我氏でしたが、同じ豪族である物部氏と対立するようになります。
・用明天皇がなくなると、蘇我氏と物部氏はそれぞれ次の天皇候補となる人物をかついで内乱になりました。この内乱に勝利したのが蘇我氏です。
・推古天皇はわが国最初の女性の天皇です。推古天皇は、593年に甥の聖徳太子を摂政に任命し政治を任せました。
・聖徳太子がめざしたものは、天皇を中心とする国づくりで、教科書的な言い方をすると、天皇を中心とした中央集権国家をつくろうと考えたわけです。
・聖徳太子は603年、冠位藷階の制度を定めます。冠位とは個人の迫ヘや功績に応じて与えられる位のことで、この位を藷段階に分けて、それぞれの個人の力量に応じてそれを与え、功績があれば上の位に次々と上がっていくことができた。家柄によって位が固定されてしまうこれまでの氏姓制度とはここが大きくちがいます。
・冠位藷階を定めた聖徳太子は、翌年の604年に憲法庶オ条を定めます。憲法庶オ条をよく読むと、儒教や仏教の教えにもとづいて、豪族同士のあらそいをなくし、天皇中心の国をつくろうとした聖徳太子の政治的理想がよく分かります。
・聖徳太子が政治を行っていたころ、隋が中国を統一していました。この隋へ聖徳太子は使いを送ります。これを遣隋使と呼びます。使いとして隋に派遣された代蕪Iな人物が小野妹子です。
・世界最古の木造建築物である法隆寺は、飛鳥時代に聖徳太子によって建立されました。ユネスコの世界遺産にも登録されています。
・飛鳥時代の建物の柱にはエンタシスとよばれる形式のものが用いられています。エンタシスとは丸い柱の中央部をふくらませたもので、ギリシャのパルテノン神殿がこの柱をもつ建物として有名です。
・645年に中大兄皇子は、中臣鎌足の協力を得て蘇我入鹿を暗殺します。これをきっかけにこの年から行われた政治改革のことを大化の改新といいます。
・大化の改新の1年後、孝徳天皇は、改新の詔とよばれている4つの政治方針を発浮オました。公地公民、全国を国郡里に分割、班田収授法、租庸調の4つです。
・中臣鎌足は死に際して、生前の功績により大職冠という最高の冠位と、藤原という姓を天皇から与えられました。その後の日本の政治を動かした大貴族、藤原氏の誕生です。
・飛鳥時代、律令の制定が盛んになります。有名なのは、文武天皇の時代、701年に藤原不比等や刑部親王らによって作成された大宝律令です。藤原不比等は、大化の改新で活躍した中臣鎌足の子供です。
・班田収授法というのは、籍にもとづいて6歳以上の男女に一定の土地があたえらる制度でした。この土地のことを口分田といいます。死んだときには国に返却しなければなりませんでした。国が農民に貸し与えるという形をとっていました。
・班田収授法の目的は、豪族による土地と農民への直接の支配をふせぎ、土地と農民を国家が直接支配することによって、税をとるための対象を確保することにありました。このような考え方を公地公民といいます。
・農民は班田収授法によって、最低限の生活を保障されていました。しかし、口分田をもらうかわりに、租、調、庸、雑徭といわれる負担を課されていました。租は稲、調はその土地の特産物、庸は朝廷のために働くか布を納めるか、雑徭は水利工事や土木工事です。
・租調庸など重い負担があった農民の暮らしをうたった山上憶良の貧窮問答歌により、当時の暮らしぶりが想像できます。


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