スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823) (作者:カメ子)

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823) 【1】

 ある時、彼女は“観賞用”として自国有数である、この屋敷にやってき
た。

 何処かの町の噂によると、その歌声は美しく、それを聞きつけ実際に我が
主人は出向いた。生で聴きお気に召した主人は専属の“歌姫”として、買い
取ったとか。裏の取引で・・いや、このご時世、表で堂々と人身の取引など
別に珍しいことではない。売られたのか、可哀相に・・。そう思いつつ自分
だって、ここに居る時点で、生きるすべを他に持たない点では、人のことは
あまり言えない立場だけどな。遠目から見た彼女の年は、僕と歳が同じかせ
いぜい1歳下くらいに見えた。髪は肩より長い。


 

 来た初日、人に連れられて階段を登っていく彼女を、遠目から見てると傍
に居た僕と組んで仕事をしている女性……と言ってもまだ歳は16のディ
ザ・ロバストが話しかけてきた。ディザは内面は甘えもせずしっかり仕事は
こなすが、反面、背が低いから少し僕としては手を焼きたくなる。そう言う
ときっとディザは頬をふくらましそうだけど。

「ついに、来ましたね。ずっと旦那様が探していたと聞きましたが」
「貴女もよく知ってますね。7年前には此処で働いて居なかった人ですよ
ね?」
「そんなの、仕事をしていれば噂で幾らでも聞こえてきますよ」
「僕はあまり聞きませんが」
「それは、貴方が、噂の輪に入らないからです」
「あの中に入る気は全くしないよ」
「だけど、容姿は似ていても、性格は似ていないとか……」
「まぁ、そこまでは無理な話でしょう」
「どんな人だったんですか?そのお嬢様は・・」

 表の話は“歌姫”を連れてきたとされているが、7年前から使えている者
はそれ以外の理由も分かっていた。僕としては、替りの娘が来るなんて今更
過ぎると思うが。もっとも、その間、ずっと探し続けていたのは確かだけ
ど。

 主人には、子供が娘と息子の2人居た。息子の方は今、海外に留学中。娘
の方は7年前に亡くなったらしい。実を言うと、替りの娘が来たのはこれで
2回目だ。ちょうどその時、僕は来たばかりで接点なんてもちろん無く、仕
事を覚えることが第一だった上、3ヶ月しか見たことは無かったから今でも
記憶が薄い。どんな人だったんだけ。当時の歳は僕より4歳ほど上だったの
は覚えている。そして、ちょうどお嬢様が亡くなったその当時と同じ年頃の
人を前回同様、連れてきたわけだ。今回はプラス歌が上手という特典付き
で。ただの娘では面白くないと思ったのか。初めて連れてきた娘さんも結
局、売り返したあたり、今回も同じように気に入らなくりそうな気もする
が。

「申し訳ないけど、実は僕も本当のお嬢様には会ったことは無いんですよ」
 いい加減、替りを探すことなどできないと分からないんだろうか。替りを
見つけて、でもやっぱり違うと思い知らされて、余計に幻滅しては苦しいだ
けだ。幼いながら、僕は来たばかりの頃からこの屋敷の雰囲気には嫌いで嫌
いで堪らなかった。何年か経った今でも屋敷内も落ち着いてはいるが、やっ
ぱり好きになれない。
 
「ほら、ディザ。手が止まってる」
「あ、すみません」
 軽く叱りつけると、またディザは慌てて手を動かし始めた。そういう自分
も、考え事をしていたから少し作業のスピードは落ちていた。
 ……また始まるのか。前のような、嫌な空気に。今回はそうならないよう
に思いたいが。まぁ、何を考えたってしょうがない。口出しをできる立場で
はないしな。
「あと1つ。ディザは何かと目敏いから気をつけるんだよ。見てはいけない
余計な物まで目が行くから」
「私が目敏いのはほとんど貴方の行動にですよ。5年も一緒ですから。貴方
も気をつけてくださいね?」

 ああ。そうするよ、と生返事をした。

 


 この屋敷の使用人である僕には、もちろん何の接点もなく関係もない話だ
と思っていたが、主人のために聴かせるその歌声は部屋を超え、屋敷中に響
いて僕の耳にも自然と届いた。目を合わせることも、歌う姿こそ見たことは
ないが、さぞかし、彼女は幸せに歌っているんだろうと自由に伸びる歌声を
聴いて思った。それでも僕にとっては所詮、眼に見えない遠い存在だ。
 その声は四六時中響いていた。いつだって力強く歌うその声は枯れること
無く美しく、まるで生命力溢れるような……。

 朝方、陽が登った頃の時間に蔵書室に行き中に入ると、既にディザが居
た。その姿は照らされているが黒目の制服は日が当たってもやっぱり黒だ。

「あれ・・もう仕事始めてるのですか?」
「はい。だって、いつも貴方の方が仕事が早いから、こうやって貴方より早
くこないと巻き返せませから」
「真面目ですね。倒れなければ良いですけど」
 確かに、ディザは努力や責任意識は持っている。そこは、僕も高く評価し
ていた。が、頑張りすぎるあまり自分の体調を顧みない時も多々有った。頑
張ってくれるところは良いんだが、何かと心配になる。僕の仕事量と比べら
れても、ディザは歳も違うし、何より女性だから、敵わないという自覚も持
ったほうがいいじゃないか。

「貴方が来る前にもう、何冊か探しましたからね」
「ああ。それは、ありがとう。ディザは仕事が早いから助かるよ」
「貴方ね! こういう時だけ、名前を呼ぶのやめてください。それにその言
葉遣いじゃ誰かに怒られますよ」
「貴女も、釣られて言葉が怪しくなるくせに。その上、兄役の僕にその聞き
方はどうかと」
「私には兄が居ないので、よくわかりませんし、貴方はあまり兄っぽくない
ので仕方がありませんでしょ」
「相変わらずだな、貴女も」

 捜し物リストに載っている本のタイトルを棚から取っていくと、少しして
飽きたようにディザはため息をして言った。まぁ、この仕事は単調だから退
屈にもなるよな。

「旦那様も人が悪いですね。本来ならまだ仕事の時間じゃない時に申し付け
るなんて」
「まぁ、使えてる身でそんな事は言ってられませんけどね」
「分かってます。ただの愚痴ですから」
「今に始まったことじゃないから、僕は大分慣れましたけど……それより、
見つからないのはあと何冊ですか?」
「5冊です。あっ……」
「どうしました?」
 その声に振り向くと、ディザは背伸びをして必死に手を伸ばし本を取ろう
としていた。足はプルプルと震えながら、それでももっと身体を伸ばそうと
しているが、本棚の1番上の段にさえ手は届いてなかった。
「すみません・・。あの1番上の、右から3番目の、本を取って・・・もら
えませんかぁ」
「・・っふ。また届かないんですか?僕と貴女が仕事を組まされている理由
が分かった気がします。差し詰め、貴女の背替りですかね」
 背のことをからかって言うと、ディザは怒ったようにすぐに言い返す。も
っとも、理由なんて僕には上が決めたことは分からないが、何年も一緒に組
んでいるので仕事はやりやすいから別に不満はない。
「しょうがないじゃないですか、背はどうにもなりません!!」
「冗談ですよ、あんまり僕の言うことは気にしないで」
 どれどれ、と手を伸ばして本を取ってやると改まり、ありがとうございま
すとお礼を言ってきた。その申し訳なさが余計に無力な子供と被って幼さが
際立ったような気がした。
「ほんとに、気にし過ぎなんじゃないですか。出来ないこともありますよ」
「でも、私はできないことが多いから嫌なんです」
慰めるように言うと、それさえ嫌うようにディザは返した。やっぱりこう言
うのは向いてないのかもしれない。

「……ディザはよくやってるから安心しな」
 ディザが働き始めた5年前の時のようにあやす言葉をかけると少しだけ晴
れたように顔を上げてやっと目をわせた。ただ、ディザにはまだハードルが
高いだけだ。
「本当に?」
「あんまり気を張ってると、一気に仕事の意欲が下がるよ。だからほどほど
でいいんだ。気楽でいい。僕がフォローするから」
 ここに長く居るならば、すがるものも無く、ただ仕事へ気を張り続けると
後で何処かを壊すと実感している。心配しているのにディザはまだ納得いか
なそうに眉を潜めて床を見ていた。その垂れた頭を僕はポンポンと軽く叩
く。大丈夫と口に出さない代わりに。

 やがて、時間が経つと蔵書室にも彼女の声が聴こえてきた。本当に、何処
にいても届く。それとも僕が意識しているのか。
「あ、歌い始めましたね」
「ああ」
「今日も良く聴こえますね。あの人の声」
「さすが、価値のある歌姫」
「でも、少しだけこんな屋敷ですけど気分良く働けますね。……少しだけで
すけど。貴方には調度よさそう。いつもつまらなそうだから」
「確かに。でもそう言う貴女は?」
「私としては、貴方より楽しんでますよ。天気・空の動きとか。そうね、花
壇の草花の変化とか。ここに居ると楽しみはそのくらいですけど」
「女性は良いですね。僕には興味ないです」
「でも、唯一歌には興味がお有りのようですが?」
「まぁ、僕も1回だけでも間近で歌を聴きたいとは思いますけどね」

「これで最後の一冊。旦那様に届けに行きしょうか」
「今は、入れないと思います。ほら、歌が始まったので。僕たちは少し遅刻
をしたみたいですが、まぁ、しょうがない。次の仕事に取り掛かりますか」
 同意の声を求めるわけでもなく気合を入れ直すとために言葉に力を込め歩
き出すと、ディザも後ろを着いて来る足音がした。そうだ、1日は始まった
ばかりにすぎない。




 その後、何故か最近になって新しくできた、朝7時前の蔵書室の利用の禁
止。それは僕等、使用人にもきつく言われていた。ただ、やっぱり、夜だけ
でなく朝にも時間の制限をされたことは少し辛い。古い歴史のあるこの名家
は良い文献も置いてあり僕にとっても割りと使っていて3日ほど朝の利用は
我慢をしていたが、やっぱり不便だ。昨日は仕事の都合上、蔵書室に行く時
間がなかった。今思えばもっと前の日も以降と思えば時間があったのに
さ。……朝食前に目を通しておきたい。まぁ、誰にも見つからなければ問題
は無い。

 此処に着くまで人目を気にしながら、蔵書室にたどり着き“がちゃり”と
ドアを開けると、入室を禁止されたはずの蔵書室に明かりがついていた。先
客が居るのか。僕みたいに、危険を冒す物好きだ。興味がわき自分の探して
る本が置いてあるところを行くついでに、その人物も探すことにした。自分
より背の高い本棚の1列1列を覗きながら進むと、6番目の棚の前で人影を
見つけた。女は立ったまま本を両手で持ちながら読みふけっている。

「あ」

 その、静かな空間を作り出す彼女を見て僕は思わず息を飲んだ。身分は低
いが僕等よりもなにか特別なオーラがした。耳に付いたリングのピアスが少
し揺れる。そして、リングの中、中心に橙色の光物がついていた。……服装
もやっぱり僕、いやディザが着ている女物の制服よりも目立つ明るい色を纏
っていた。もし、使用人がこの格好をしていたら怒られること間違い無し
だ。どうやらやってきた歌姫は使用人でもなく“商品”または“置物”扱い
を主人はしてるのだろうな。

「……貴女は、最近来た」
 その女の人は、遠くから何度も僕が見かけた人で間近で見たのは初めてだ
った。彼女は声をかけられて現実世界から呼び戻されたように体がびくっと
し、そのまま本を手から滑らした。

「・・あっ!!」

 彼女が慌てて声を上げ、手を伸ばすが掴む間もなく本はそのまま落ちる。
硬い表紙が床に当たって静かな空間にフローリングを打つ音がした。表紙を
見たら“花壇の手入れ”と題ついた本だった。

カメ子 著 Plant