スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

僕のギター (作者:朱音)

僕のギター 【6】

「じゃあまたな」、弘樹は階段を下りて、地下鉄の連絡路の奥に消えていった。
俺はその背中を最後まで見送ってから、こみ上げてくる情念を振り切りたくて、
早足で歩き出して、やがてそれは駆け足に変わった。
背広とスラックスを身に纏っているせいで、とても走りにくい。
昔は毎日、Tシャツにジーンズ、それと履き古したスニーカーだったのに。
生温い空気が肌にまとわりついて鬱陶しかった。
頭の中でぐるぐると回り続ける弘樹の言葉。
欲しいと望んで聞きたいと願って、でも聞いてはいけないと思っていた言葉だ。

息切れがするくらい走り続けた。
やがては疲労に足を取られた頃には、俺はマンションの前に立っていた。
こめかみから汗が流れて、風に晒されるとひんやりとした雫に変わっていった。
ひとりしかいない空間に足を踏み入れると、孤独のにおいがした。
今ではもう、淋しいと言う感覚も忘れちまったけれど。
だから孤独なんて言葉は俺にはふさわしくない。
立てかけてあるギターが目に入って、引き寄せられるように手に取る。
今ではもう、時々しか触らなくなってしまったけれど、
馴染みすぎるほど馴染んだ弦の感触が、どうしようもなく愛しかった。
恋人のように、ずっと傍にいてくれた存在。


忘れたくねえよ。
きっと、忘れられねえから。
俺はこれからもこいつを手放すことは出来ないと思うし、今でも大事だと思ってる。
本当は夢を叶えることが出来たなら、もっと報いることができたのかもしれない。
それでも俺は戻れない過去を振り返りそうになったとしても、
現実の世界に足を捕られて身動きは出来ないけど。
それでいいって、諦めちまう弱い心を手放すことはできねえんだろう。
最初の一歩を踏み出す勇気なんて、臆病な俺からは生まれてこないかもしれない。

朱音 著