スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

魚 (作者:あつこ)

魚 【6】

「七海、魚の姿で泳ぐってどんな感じだい?」抱きしめたまま僕は聞いてみた
「すごく気持ちいいの。生きていて良かったって思えるぐらいに」小さく泣き顔のまま七海は笑った
「いいな、俺も魚に生まれたかった」なんて子供っぽいことを僕は言うのだろう
「だめよ、あなたは魚にはなれない。」
「何で、何でなのさ。俺だって七海みたいに魚になりたいよ」
「だって、手がある。足もある。えらは無いし。」
「それなら、君だって。七海。君にも手足があるじゃない。七海にもえらは無いよ?」

「そうだね、手も足もあって。えらはない。うろこも。私も、魚に生まれたかった」

「…しょうがないよ、僕ら人間なんだから。でも、」
「でも?」くるりと振り返り問う
「実は信じてた。魚なんだって。」
「ふふふ、ばぁか。」おどけるように言う
「ばかで悪かったね」ふてくされるように。
「でも、なんで私魚に生まれなかったのだろう。」
子供みたいな瞳で僕を照らす
そんな目で見つめないで、自分が嫌になるから

「なんで私、魚に生まれることできなかったのだろう」

2回目の彼女の言葉がずしん、と響く
知らない、僕はそんなこと分からない。
聞かないで、やめて、分からないから

「魚だったら、こんな風に出会えなかったよ」恐る恐る口に出す
彼女は目を閉じてゆっくり微笑む
その笑顔は一体、何を意味しているのだろうか
「人間も案外、良いものかもね。」
ほっと胸をなでおろして、また僕は彼女を後ろから抱きしめる
吐息が腕にかかる
あたたかい、彼女は生きている。彼女は人間だ。僕も人間だ。

「明日、行っちゃうんでしょ。今さら気づくなんて私、バカだよね。」
「いいんだよ、まだ間に合うよ。七海。」
「間に合う?まだ、間に合うのかな。」
「間に合うって、大丈夫だよ、俺らなら。」
砂に思いを託して、込めて、この砂をずっとここに留まらせたい
僕らが出会ったこの海に終わることなく、波に流されることなく
ずっとずっと、僕らの代わりにここに居て
思い出よ消えないで。せめて僕らの代わりにこの海に眠っていて。誰にも気づかれないように。

「終わったりなんてしないよ、きっと、まだ。終わらないよ。」囁くように耳元で言うと彼女はクスリ、と笑ったように
「約束してくれる?」と言いながら、小指をぴん、と立てた
僕もその指に自分の指を絡めて誓う
この恋は終わらない。
魚になれなかった僕らをいつまでも繋ぐ
おかしな作り話を信じ合って渇ききった胸のコンクリートのような大地を潤し合う
たとえ、それがお互いに嘘の物語なんだと分かっても僕はけして、口にしないだろう

波が、僕の言いたい言葉を掻き消すようにして鳴り響いた
言葉なんて僕ら、2人とも出ることは無かった
ただただ、無言で月の鉛色の光が降り注ぐ海を見続けた
この海が僕らを繋ぐ 僕らとこの海が隠された「魚」へなれる世界を繋ぐ

言葉はたどたどしいけれど、そんな気がした

あつこ 著