スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

地図にない国 (作者:彩香)

地図にない国 【5】

「にぎやかでしょ?食べ物も建物も、とても美しくて華やかよ。」
ハヤテは女の言葉にうなずき、少し寂しそうにつぶやいた。
「あの人が、ここに惚れ込むのもわかるな。」
隣で歩いていた男は、ハヤテに質問をする。
「君が先程からいっている、あの人というのは誰のことだい?」
「僕の父です。もう、父親だなんて思ってないけど。」
「その人はここに来たことがあるのかい?」
「はい。一度だけ。」
男と女が顔を見わせる。ハヤテはそんなことにも気づかず言葉を続けた。
「それからずっとこの街に思いを寄せて。家族のことはほっとくようになった。」
無礼なのは解っていたが、ハヤテは次の言葉を言わずにはいられなかった。
「この国は美しいけど、僕や母さんよりも、そんなに魅力的なところかなぁ?そんなに価値があるとは思わないけれど。」
ハヤテは足を止める。
「僕は、あの人が死ぬまで思いを馳せた国が、どんなものかを確かめに来たんです。」
男の顔から笑みが消え、じっとハヤテを観察するように見つめた。
「君をおいしいごちそうでおもてなしする前に、彼に会わせなければならないな。」
「彼って?」
「君のお父さんだよ。君の捜し物はここにある。」
ハヤテはおかしそうに笑ってから、男を見た。
「お兄さん、あの人は死んでるんだ。だから、会うことなんかできないよ。」
「良いからついてきなさい。」
男と女は、ハヤテを挟むかのようにして一列になった。男について歩いていると町並みは変わり、農村地帯のような雰囲気になる。畑を耕す人や野菜を干している人があちらこちらに見えた。彼らはハヤテたちの姿を見ると、所かまわず崇めるかのようにひれ伏した。
「お兄さんたち、偉い人なんですか?」
ハヤテは男にたずねたが、男はなにも言わずある家の前で止まった。ひどく古い家で、ガタガタと積まれた石造りの壁はささいな揺れで崩れてしまいそうだった。男は玄関先につるしてある鈴を鳴らす。中から同じように小麦色にやけ、つややかに光る布を体にまとった男が現われた。彼は男の姿を見るとひざまずき、女の手をすくい取ってその手の甲にキスをした。 
「シュラフ様にローランダー様。わざわざこんな遠くに足を運んでいただいて……。」
「あいさつはいい。顔を上げろ。お前に客人だ。」
不思議そうに顔を上げた男の目が捕らえたのは、自分の息子の姿だった。
「ハヤテ!」
ハヤテは、絶句したまま動けなかった。死んだはずの父親が、ここで元気に生きている。おかしい。父親の遺体は隣町の研究所に引き渡されたはずなのに。
「ハヤテ、おまえが、何でここに?」
シュラフと呼ばれた男は、ハヤテを見てから
「後で迎えにくるよ。それまで久々の再会を楽しむんだよ?ハヤテ。その後は君をおいしいご馳走が待っている。」
とほほ笑みかけた。そして父親には、ハヤテに対する口調とは打って変わった厳しいそれで言った。
「くれぐれも余計なことは言うなよ。三十分後に迎えにくる。」
男と女は去り、入り口の布がはらりと垂れて部屋の中は少し薄暗くなった。布を通して届く光りは瑠璃色に輝き、部屋の中を幻想的にしていた。

彩香 著