スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

消せなかった炎 (作者:彩香)

消せなかった炎 【4】

「村井さん、いい天気ですね。」
「そうですねぇ。」
「腰の具合は、どうすか?」
「おかげさまで。またこうして、お花に水をあげられますよ。」
静かな住宅街。穏やかに晴れた空には、真っ白な雲がぽかぽかと浮かんでいる。
時は流れていく。闇黒のような暗い時代が終わり、日本は経済大国となり、世界が認める豊かな国となった。
そんな時代の流れから、滑り落ちそうになりながら、千代子は一人で生きていた。
千代子は縁側からゆっくりと立ち上がり、ジョウロに水を汲む。
「そう言えば、昨日近所に小林さんっていう方が、越してきたそうですよ。昨日から挨拶回りなさっているそうで、ここら辺にもそろそろいらっしゃいますよ。」
「そう、そうですか。」
「一人暮らしのおじいさんなんですけれど、とっても美男子だそうですよ。村井さん、どうですか?」
からかうようにそう言う彼女に、千代子はふふっと笑う。
「私には、心に決めた人がいますから、死ぬまで一人でいいんです。」
「わかってますよ。ただ、もしなれば、美男美女でお似合いだなぁと思っただけです。」
彼女はそう言って微笑み、千代子に手を振って帰っていった。
カツン カツン
とアスファルトに何かがあたる音が遠くから聞こえてくる。
近くなったかと思うと、その音はとまり、代わりに人の声がした。
「村井さんですか?」
「はい。」
千代子は返事をして、門のほうを見る。一人の老人が杖を突いて立っていた。
老人は千代子の姿を確認すると、帽子を取って、杖に力を入れて、すっと背筋を伸ばした。
「お花、きれいですねぇ。」
「そうですか、ありがとうございます。」
千代子はそういいながら、ジョウロを縁側に置き、ゆっくりとした足取りで門に近づいていく。
「越してきた小林さんですか?先ほど、近所の方から聞きましたよ。」
「そうですか、そうですか。」
千代子はやっと門に近づき、顔を上げる。
その優しげな顔に見覚えがあった。
「小林、浩二を言います。それで、これが、信州のそばでしてね……。」
千代子は心臓が止まるかと思った。まさか、そんなはずはない。
そう思い、まじまじとその顔を見てみれば、右目の下に二つ黒子が並んであるのが見えた。
「どうして。」
「え?」
「どうして生きているの?浩二さん……。」
浩二は驚いたように、千代子を見つめた。千代子の目は見る見るうちに濡れていく。
たとえ美女と言われても、もうどこから見てもしわしわの老人となってしまった千代子は、あのときのように話をしようと口を開くけれど、うまく言葉が出てこない。
浩二は、信じられないような声で、そっと千代子の名を呼んだ。
「千代子さん……?」
千代子は目から涙をこぼし、うん、うんと深くうなづく。
浩二は、千代子に笑いかけようとするが、うまく笑えない。

彩香 著