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タイプライターの父 ショールズ

タイピングを語る上で欠かせないのが、タイプライターの父と呼ばれる 「クリストファー・レイサム・ショールズ(Christopher Latham Sholes) 」の存在だろう。

1819年2月14日ペンシルバニア州ムーアズバーグ(Mooresburg)で生まれて、10代の時、近くのダンヴィル(Danville)へ引っ越しました。そこで、彼はプリンターの見習いとして働きました。彼の見習いが終わった後に、1837年の18歳のときに、ウィスコンシンへ引っ越して、兄のチャールズ(Charles Clark Sholes)のもとで、新聞編集に携わるようになりました。

21歳になったショールズは、サウスポートに移り住み、1840年6月16日にサウスポート・テレグラフ紙を創刊、みずから編集長となります。翌1841年2月4日に結婚、生涯に少なくとも11人の子をもうけました。29歳の時には、兄チャールズともどもウィスコンシン州議会議員に立候補し、見事当選、その後は新聞編集者と議員を兼任しています。

1853年10月、36歳になったショールズは、オシュコシュの新聞経営者デンスモア(James Densmore)と共に、奴隷制廃止・黒人参政権を軸とする政治色の強い新聞の発刊を計画しましたが、経済的理由で頓挫、代わりにショールズは、ケノーシャ・テレグラフ紙の経営にデンスモアを招き入れました。実は、ケノーシャ・テレグラフ紙の経営も火の車だったのです。デンスモアは、ライバルのケノーシャ・トリビューン紙との合併を画策し、2紙は1855年1月にケノーシャ・トリビューン・アンド・テレグラフ紙となりました。しかし、ケノーシャ・トリビューン紙出身の編集者たちと、ショールズは反りが合わず、1857年4月にショールズは同紙を辞職、ミルウォーキーに移り住みました。

ショールズが発明に目覚めたのは、シンシナティから来たプリンター仲間・サミュエルW.スーレ(Samuel Willard Soule)との出会いがきっかけでした。スーレが自分の発明品『新聞に宛先を印字する機械』を、ミルウォーキー・ニュース紙に売り込みに行ったところ、同紙のゴッドフリー(George Godfrey)が、スーレをショールズに引き合わせたのです。1860年10月のことでした。ショールズはスーレの発明品に惚れ込み、その権利を買い取ると同時に、スーレと共に新たな発明に取りかかりました。ミルウォーキーのKleinsteubers機械工場でタイプライターの研究を開始しました。そして、彼らは11月に番号印字機の特許権をとりました。いわゆる、『ページ番号を印字する機械』で、スーレとの共同特許でした。この同時期に、他にも類似の特許がありましたが、印字に手間がかかることから、ショールズのタイプライターのさらなる改良が期待されました。

そして1867年7月のこと、ショールズは、ウェラー(Charles Edward Weller)のもとに行き、電報の清書に使うカーボン紙を少し欲しいとお願いしもらいうけます。なんと、ショールズは、そのカーボン紙を使って、タイプライターの改良版を製作します。モールス送信機の電鍵の先に、活字が1つ取りつけられた棒が乗っかっている機械に、カーボン紙が取り付けられて、アルファベットが印字できるものになっていました。今のプリンターのインクリボンの原型になっていたのは、カーボン紙だったんですね。実験では、活字1つでしたが、アルファベット全てで製作して完成させます。 1867年10月11日、ショールズとグリデンとスーレは共同で、最初のタイプライター特許を出願しました。このタイプライターは、アルファベットが書かれたキーを押すと棒が跳ね上がって、カーボン紙が取り付けられている原稿用紙の裏を叩くことによりアルファベットが印字されるというものでした。

 

 
     
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