スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823) (作者:カメ子)

忘れられた歌姫と王子になれない青年(8823)【5】

彼女の人生をねじ曲げたのは僕だ。
 気づけば離したくないほど大きな存在になって居た。

 



「さっき、君に触れたとき見えた、腕の痣だって、主人に付けられたもので
しょう?最後に会った時には無かった」
「・・え」 
「っ、やっぱり」
 まるで図星のように彼女は言葉を詰まらす。8日間で、何かあったんだ。
思わず、僕は頭を掻いた。 本当に、僕は何も知らない。力になれない自分
にイラつく。
「僕は、君を助けられませんか?」
「ぶたれたのは、あなたのせいじゃありませんっ!!ただ、私が至らなかっ
たから・・」
「君のせいでもない」
「だけど、私・・」
 辛いことを思い出すように、もしくは、認めたくないように重い声が途切
れて小さくなった。
「あなたに、すごく・・会いたかった」
「・・っ」
 僕は、君を不幸にできるくらい大きい存在?
 “居てくれたら助かる”とか、そんなもんじゃなくて、君を不幸にできる
くらい、僕は君の中で生きてる?
 誰にも負けない君が、会えない間、どうしよもなく心が枯れてしまうくら
い大きい存在だって信じて良いか?

「何をされても私は大丈夫です。でも、あなたに会えなかったのがすごく苦
しかったです。言いたいこと、いっぱい有ったのに来てくれなかったから」
 会いたくて、会いたくて堪らなかったのに、そんな声が届かなかった。1
番君が辛い時に、何も出来なかった。“辛い”“怖い”って声さえ本人から
直接聞けなかった。いや本当は、聴こえてきた歌声で知っていた。知ってい
たにも関わらず行くことが出来なかった。その間、勝手に彼女は大丈夫だと
何度も僕は自分で言い聞かせてた。気にしないようにしてたけど、
「僕も、8日間ずっと会いたかった。ていうか、僕の気持ちは前から知って
ますよね?」
「でも、不安でした」

「……これから先、会えなくなるのはもう、嫌です」
「それが本音ですね?」
 もとより、そのつもりです。きっと、今、主人の部屋に行けば今度こそ暗
い個室に閉じ込められるかも知れない。そんなこと、させないから。お互
い、もっと分かっていれば離れて居ても伝わっていただろうに。僕の声が君
に届いてなかった。ていうか、僕も今日初めて君の気持ちを知ったばかり
だ。
「遅い」
「え?」
「なんでもないですよ」
 安堵の溜息を一つして僕はまた口を開いた。
「じゃ、決まりですね。……良かった、君の同意のもとで」
「私を連れて行って」
「どういう事か、分かって言ってるね?」
「分かってます」

「何もかも捨てる覚悟はあるんですね?」
 彼女と話が終わると、ディザが確認するように訊いた。
「あぁ。……でも捨てるとは違うよ」
「では、私は旦那様の所に行ってきます。“部屋に居なかった”と伝えに」
「ディザがこの部屋に来るように言われたのは、きっと僕と仕事で関わりが
あるからなんだと思う。だから、それは“裏切るな”って暗黙に言われてる
ことだろ?嘘を付くのは危険だ」
「そうでしょうね。でも私の方は大丈夫です。私が部屋から出て時間稼ぎで
きるのは、多分5分くらいです。だから、躊躇ってる暇はありませんよ」
「いつも、ディザには迷惑欠けているね」
「……本当に」
 生意気にそう言うと、久しぶりに口元を上げて少しだけ笑った。そう言え
ば、仕事外で離すのもほとんど無かったな。それから、ぎりぎり保っていた
涙が、耐え切れずに目から落ちて行った。
「止めないで居てくれるんだね」
「……だって、こうなるって、ずっと分かっていたから覚悟してました」
「そう?」
「そうですよ。だって、いくら言ってもトゥオは聞かなかったじゃない」
「ずっと、心配かけてたね」
「貴方のことは、もう知りませんっ」
「一緒に、仕事できなくなるな。ごめん」
 ぐしゃぐしゃと頭を撫でると、ディザは言葉にならない声を上げる。淡々
としゃべっていたが、糸が切れたように涙が流れた。
「・・ぅ、、うぅ」
 それでも、泣き止ま仕方が分からなくて、撫でてるのをやめてポンポンと
軽く叩く動作に変えた。ディザの嗚咽に反比例するようにリズムを変えずに
ゆっくりと。
「本当は、悔しいです」
 泣きながら、ディザは文句を言う。
「私には、兄が居ません。だけど、此処へ来たとき貴方がしっかり面倒を見
てくれて兄のように思えました。すごく頼ってました。多分、今も。でも、
私は貴方の力になれなかったみたいですね」
「そんなことないよ、十分僕だって助かってた」
「対等の立場に居たかったです。私は、やっぱりいつも頼ってました。だか
ら、ライアさんが羨ましいです。トゥオの必死な顔も初めて見た。私には出
来ません」
「・・っ」
「何も返せなくて、ごめんなさい」
 でも、どんなに泣いても一言も“行かないで”とは言われなかった。それ
だけで、本当に十分だ。
「ありがとう、ディザ」
 逃げ出す僕が、”違う人と仕事を組んでも大丈夫だよ”とか“頑張れ、お
前ならやっていける”とかそんな無責任なことは言えなかった。この屋敷が
居づらいのは良く知ってる。
「すみません。もう大丈夫です」
 2分経つかどうかで俯いていた顔を上げえ、腕で涙を拭いた。時間があれ
ば、思う存分、泣かせてあげられるのだけど。ディザが心配で貯まらないけ
れど、何も適した言葉が言えなかった。
「……トゥオ、これを持って行って」
「これは・・。」
 いつも付けている“お守り”とやらを指から外すと、ディザは僕の掌に乗
せた。
「私は無くても、もう大丈夫です」
「良いのか?」
「どうせ、持ってないんでしょ? 誰がつけてもいいですから」
「ありがとう。言葉に甘えて貰っとくよ」
「トゥオは自由に生きて。貴方らしく」
「あぁ」
「私は、もう泣きませんから」
 素直に受け取り、無くさないように胸ポケットにしまい彼女の方に向い
た。

「君は、取り敢えず個々に居て。2人で廊下に出るのは目立つので。僕は、
こっそり車の鍵を取りに行ってきます。逃げるなら足じゃないほうがいい」
「でも、此処に戻ってくるのは危険ですよね? だったら私、窓伝いにあの
木に飛び移って降ります」
「何言ってるんですか!? 此処は3階ですよ?」
「大丈夫です。・・・きっと。それにほら、私だって小さい時は木登りだっ
てやってたんですからね」
 頼もしいと言いたいところだけど、そんなの昔のことだ。しかも最近の彼
女は外に出れず運動能力も下がっているはず。
「じゃ、車を出せたらこの部屋の下まで行くので、僕が来てから降りてくだ
さいね?」
「はい」
 もう時間がないのに、一度だけ彼女から約束を確認するように僕の腕を掴
んだ。
「どうしました?」
「名前、教えてくださいね? ……ちゃんと逃げ切ったら」
 名残惜しそうに、そっと離すその動作が少しだけ嬉しかった。
「あぁ、必ず」
 それから、彼女はディザに向き直り口を開く。
「あ、あの。ありがとうございます」
 すると、少し不満そうにや口を尖らす。それでもやっと最後に目を合わせ
てディザは言った。
「言われるまでもないですから。貴女はくれぐれも足手纏いにならないで下
さいね?」
「ええ」
「でも、信用してますよ。貴女の事」

 
 部屋を出ようとした直後、切羽詰ったような叩き方でドアからドンドンと
音が響いた。
「っっ!?」
「ディザ、中に居るんでしょ? どうしたの?」
「グループ長さんの声……」
 人が増えるのは、まずい。上手くいくは分からないけれど、多少の時間稼
ぎになればいい。
「2人とも、良く聞いて」
 
 ものの15秒さえ経たない短時間で僕は指示をした。
 反応のないのを確認すると、“開けますからね”と一応言いつつ部屋の扉
が開く。そこには同じ使用人である女性が立っていた。この人が目撃した人
だとすぐに分かった。
「やっぱり、まだ中に居たのね」
「すみません、貴女と話してる時間は無いんで、失礼しますね」
 女性は手を伸ばすが、振りきって腕を掴まれる前に横を抜けると振り向か
ずに僕は走った。
「待ちなさいっ! 逃げる気?」

「ディザ? 中に居るのよね」
 部屋の中に居るはずのディザの姿が見当たら無いことに気づいて女性が大
きな声で呼んだのが後ろから聞こえてきた。
 最後にとっさに決めた計画が実行されてることが分かった。多分、2人は
バルコニーに居て、彼女がディザを“人質”に取っているはずだ。指示はし
きれなかったが、後は上手くやってくれれば良いのだけど。

カメ子 著 Plant