スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

ウィリー 〜放浪者のうた〜 (作者:仲野フレン)

ウィリー 〜放浪者のうた〜 【2】

午前2時半、あっさりと外に抜け出すと、雨はどしゃぶりになっていた。それがいっそう夜の闇を深くしていた。でもそんなことはお構いなしに僕は病院の敷地を離れた。

パジャマ姿――毎日毎日同じ、病院の白いパジャマ姿――の僕はずぶ濡れに濡れ、冷えた手を温めようと吐いた息は白く、でも心の中は燃え上がっていた。

公衆電話もなければ、車も走らない、人もいなければ、外灯もぽつりぽつりで、それがいっそう、天も地もただただ黒一色である様を強調している。そんな山道を僕は走ることなく、でも、早足で、ひたすらに下って行った。



いつもだったらこの時間は悪夢にうなされ、夢と現実の間をさまよっているだろう。そうでなければ、目はりんりんと冴え切っているのに首から下は鉛のように動かなくて、
「ああ精神と肉体は別なのだ」
と、大昔の哲学者のような気分になりながら、暗い部屋で一人、いつものように暗さに目が慣れてしまって、天井――その天井の白地に黒いドット模様の一つ一つの点の円さ――をじっと観察しているだろう。



でも今日は違う。



体は軽く、胸は高鳴り、頭は寒さも、また全身ずぶぬれであることも忘れている。



僕はだんだんとごきげんになってきた。「ごきげん」?そんな気持ち、いつぶりだろうか。

薬を一気飲みした時も、医者から入院せよと言われた時も、そして、自分は落ちこぼれなのだと自分で自分に烙印を押した時も、確かに気分は最高潮だった。

でもそれは「ごきげん」ではなかった。少なくとも、今の気分とは全く比べ物にならない。

僕は夜は嫌いだと思っていた。眠らなくてはならない、眠れなくても一か所にじっと横たわっていなければならない――と今まで生きてきたうちに自分で勝手にルールを決めていたから。でも今は、とらわれるものが何もなくなった今は、大きくて長くて深い夜の中でも、狂ったように歌い踊れる。

僕はいつかの歌を歌いながら軽やかにスキップした。そういえばこの歌は聞くことはあっても自分で歌うなんてなかったな。この曲はいつか聞いたあのCDの中では他の曲――別れの曲だとか、大人も子供もなく感謝を伝える曲だとか、仲良しだと思っていたが、今思えばあれは恋だったという曲だとか、たとえこの恋が嘘であってもそれでいいと歌う曲だとか――にまぎれてしまっていたというか、聞いていながらも聞き流していたな。でも歌ってみてわかったが、これは僕のための歌じゃないか。この曲は人間のためではない、落ちこぼれ、精神異常者と判定された「サル」のための歌だ。どうして今まで気が付かなかったんだろう。



サルみたいに生きよう。



サルのような生き方、それは自分を甘やかすことであり、それが逆に苦い、つらいことであろう。



でもそれはきっと堕落ではない、もう一つの、僕本来の生き方。



このままサルで行こう。つかまって病院に戻されるか、うまく逃げ延びて一人ぼっちで放浪するか、そんなこと知ったこっちゃない。そうだ、サルになろう――!僕の足は軽やかになる。




ここも朝になるのかな――朝になればこの雨も上がって、朝陽が照りつけるのかな――。僕はどこまでも続く雨降る夜の下り坂を狂ったように陽気な気持ちで下って行った。――





=完結=

仲野フレン 著