スパイダーの悲劇 (作者:ミツル)
スパイダーの悲劇 【15】
<プリシラ>
「お嬢様、プリシラお嬢様、起きてください。夕食の時間ですよ。」
私は誰かに揺すぶられて目を覚ました。見ると、私の乳母のユナだった。
「最近よくお昼寝をなさいますね。目の下に隈ができているようですし。」
私は起き上がって身なりを整えていた。鏡を見ると確かに目の下に隈ができている。
私は夜地下室に行くために、昼間に眠れる時は眠っている。昼間だと怖い夢を見ることもないし。
「私、別に疲れてなんかないですけど。」
「まさか、夜中に起きて何かしてらっしゃるんですか?」
まずい、ユナに勘付かれた。ユナは私のことはなんでもお見通しだからな。
「そんなことないです。」
私は嘘をつくのは得意なほうだけど、いやな予感がする。
夕食でそのいやな予感はますます強くなった。食堂に行くと、料理長がお父様に耳打ちしていたんだ。夕食の後には、ユナが何かお父様と
話してたし。
<ルーク>
僕は冷たい石の壁にもたれかかっていた。背中がひりひりする。水膨れは全部つぶれてしまっただろう。傷痕が残ろうが構いやしないけど。
厨房での騒ぎはあれでおしまいだった。油をかけられたと言っても、おたまからバチャってしたぐらいだったみたい。だから火傷のほうはた
いしたことないよ。片付けは全部僕がやったんだけどね。コック達はみんな不服そうな、そして、恐ろしいものでも見るような顔をしていた。
その意味はよくわからない。僕のどこが恐ろしいって言うんだ?
服はすっかり乾いている。今日は疲れた。掃除に無駄に時間がかかった。
ただもう、お嬢様に無性に会いたいよ。
「ハーイ、ルーク、見て見てー。」
ちょうどお嬢様が現れて、僕の前でくるりと体を回転させた。
ヒラヒラとピンクのスカートの裾が広がった。お嬢様は真っ白で清楚なブラウ
スに、キラキラするピンクのスカートを着ていた。
褐色の髪は二つに分けて結ってあった。
「とっても、お美しいです。」僕は惚れぼれして言った。
「今日はなんでまた、そのような格好で?」
お美しいというよりは、かわいいという感じだけど。
お嬢様はいつも暗い色のネグリジェを着て来ていた。でもお嬢様にはこういう明るい色のほうが似合う。
「今日は特別なの。」
お嬢様はニコニコと笑った。これだけで僕はもう厨房でのことなんかどうでもよくなって、僕の心は幸福で満たされた。
「でも、ゴメンね。特別な日なのにごちそうもないの。厨房の鍵が、いつもはドアノブに引っ掛かってるのに、今日はなかったの。」
僕は、あっ、と口の中でつぶやいた。でも絶対にお嬢様には厨房でのことは言わないって決めていた。
「大丈夫ですよ。今までたくさん持って来てくださいましたから。本当にありがとうございました。」
<プリシラ>
ルークはもう前みたいに顔を下げたりしなかった。
何かまだ言いたそうだったので、私は黙っていた。
ルークは真剣な、それでいて柔らかな表情で、私を見つめている。
わけもなく、鼓動が速くなった。風が吹いてきて、場の空気が変に渦巻いた。
ルークは決心がついたように口を開いた。
「僕は、お嬢様の笑顔があれば、それだけで十分です。」
その言葉は狭い地下室の中で、鋭く響いた。私は本当に世界が揺れ動いたように感じた。
「えっ?」と思った。どうして急にそんなこと。それって何?どういうこと?
ある考えが浮かんだけど、私の心はそれを認めることを拒否した。その考えを吹き飛ばそうと、言った。
<ルーク>
こんなことを言ってしまうなんて、僕の頭はどうかしてるよ。ほら、その証拠にお嬢様はすごくお困りのようじゃないか。
「あの……。」
「ルークってさ、」
僕が何か言う前にお嬢様が言った。僕は別に何か言わなくちゃと思っただけで、何を言うべきかは全然わかってなかった。
「明るくなったよね。私と比べたらまだまだ暗いけど、初めて会った時よりは、ずっと明るくなったよね。」
次の言葉を言った時のお嬢様は、僕の脳裏に焼き付いて消えない。笑っているというよりは、頬の内側にいっぱい微笑みを含んでいるという
感じだった。「ニンマリ」とでも言おうか。
「よかったね。」
ミツル 著