スパイダーの悲劇 (作者:ミツル)
スパイダーの悲劇 【12】
<ルーク>
その夜、僕はお嬢様が来るのを、今か今かと待って落ち着かなくて、地下室の中を行ったり来たりしていた。
そして、ふと、あのピアノに目が止まった。
気がつくと僕は、イスに座って、鍵盤に指を乗せていた。お嬢様の温もりが感じられるような気がした。
ピアノの鍵盤を押すのは、思っていたよりもずっと力が必要だった。よくお嬢様はあんなにスラスラ弾けるなぁ。それでポーンと音が出た時は、
驚いて飛び上がってしまいそうだった。昨日も一昨日もお嬢様の演奏を聴いていたのに。
そこにお嬢様がやって来た。僕はあわてて立ち上がったので、イスをひっくり返してしまった。
「今日はまず食事にしましょ。もう持って来てあるんだ。私も一緒に食べるからね。」
お嬢様はピアノのそばにやって来て包みを広げた。普段はおいしいと感じない僕でも、お嬢様と食べればおいしくなるんじゃないかなと思った。
<プリシラ>
私がピアノの前のイスに座って食べ始めたら、ルークは私の足元にちょこんと座って食べ始めたの。まるで子犬みたいで、かわいい。その目には
前に見た時のような恐怖心はなかった。
食べながら、どうして私も一緒に食べることになったのか、ルークに話した。つまり、今日のピアノのお稽古事件をね。
「そもそも、先生がいけないのよね。私を一人にしておくから。」
私は冗談半分で言ったのに、ルークはすごく真面目な顔して、
「はい、その通りです、お嬢様。」
なんて言うから、笑っちゃった。しかもルークはキョトンとしていて、何もわかってないみたいだった。
<ルーク>
それはお嬢様が悪いんじゃないかと思ったけど、お嬢様に合わせて、その通りです、って言ったのに笑われてしまった。でも、お嬢様の笑顔が見ら
れたからいいや。
僕はお嬢様の夕食を抜きにしてくださった奥様に感謝しながら、お嬢様との食事を心ゆくまで楽しんだ。
「さあ、食べ終わったことだし、ピアノ弾こう。たまには違う曲弾こうか?」
「いえ、いつもの曲がいいです。僕はあの曲が好きです。」
本当は、あの曲を弾いているお嬢様が好きなんだけど、そうは言えなかった。
あの曲は特別だ。僕とお嬢様が出会った日にお嬢様がお弾きになった曲。
お嬢様の足元で、僕はお嬢様の演奏に耳を傾けた。
<プリシラ>
ルークの口から「○○が好き」なんて聞いたの初めてだ。私は他の曲が弾きたかったけど、ルークの望み通りにした。
ピアノはやっぱり、誰かに聞いてもらうために弾くんだよね。
今日もピアノはピカピカになった。魔法のメロディーは、ただ一人の聞き手のために、小さな地下室でこだました。すごく偉大な音楽家の最高傑作
に聞こえた。誰が聞いても感動するような、柔らかでかつ力強い旋律。私も有名なピアニストになった気分だった。
曲が終わった後の、最後の音の余韻だけが響くしばしの間――続く壮大な拍手。最高!
ただ壮大な拍手というのは、私の想像に過ぎなくて、実際に拍手してるのはスパイダーが一人。
<ルーク>
今日はあの曲を今までで一番穏やかな気持ちで聞けた。
日差しがさんさんと降り注ぐ小道を、お嬢様と並んで歩いているような気がした。お日様なんてずっと見てないけど、はっきりと浮かんで来る。
月の光より全然明るい。
今なら確かに思い出せる。このメロディーが思い出させてくれた。
僕達スパイダーも、あの頃は自由に生きていたはず。もっと伸び伸びと、自分に素直に生きていた。笑いながら、広い世界を駆け回っていた。で
も、その記憶は真っ暗だ。お日様の下の記憶じゃない。どうして? 僕はいつからスパイダーなんだろう? あの頃はスパイダーと呼ばれていただろうか?
ミツル 著