スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

地図にない国 (作者:彩香)

地図にない国 【7】

「……お父さん。」
ここに来て、ハヤテは初めて父親のことをそう呼んだ。父親は驚いたようにハヤテを見て、それからハヤテを抱き締めた。
「ああ、会いたかった。我が愛しい息子よ。苦しかっただろ。この二年間、辛かっただろ。」
ハヤテはそっと首を振る。
「あれからすぐに街には戻れたんだ。お父さん、ナナっていう子、覚えてる?」
「ああ。元気で明るい、孤児の子だろ。」
「孤児?」
「ああ。彼女は父親も母親も幼いころに病気で死んだんだ。別の街での流行病でな。伝染してから発病するまでに少し時間があるタイプで、まだ伝染してないその子をご両親があの街に捨てたって言う話を聞いたよ。」
ハヤテにとっては寝耳に水だった。あのナナがそんな過去の持ち主とは知らなかったからだ。
「それで?彼女がどうしたんだ?」
父親に促され、ハヤテは話の途中だったことを思い出す。 
「ナナが僕を街に呼び戻してくれたんだ。自分と一緒に暮らしてどちらも元気だったら、街の人もわかってくれるって言って。1年経っても何も起きなかったから、街の人は僕を受け入れてくれたんだよ。」
父親は、うれしそうに笑うハヤテをまぶしそうに見つめてから、首をかしげた。
「それじゃあ、お前はなぜここにいるんだ?」
「お父さんの日記をヒントに、お父さんの心を奪ったトロピコの街を見たかったから。」
父親はガバリとハヤテから離れた。そして、本当にかすかに空気が震えるような声で言った。
「じゃあ、お前はまだ、生きてるんだな?」
「は?何言ってるの、お父さん。」
父親が焦ったように口を開いた時、玄関の鈴が勢いよく鳴り響き、家中にこだました。
「さぁ、時間になりましたからお迎えにきたよ。ハヤテ。」
シュラフがにっこりとほほ笑み、入り口の布を持ち上げていた。
「おおー、どうやら二人の仲も元に戻ったようだ。」
シュラフは大げさに両手を広げて微笑む。ハヤテは、初めてシュラフに違和感を覚えた。シュラフは親しげにハヤテの肩に手を回し
「親子水入らずの会話はどうだった?」
と尋ねながら、ハヤテを家から連れ出す。
「誤解が、解けて……。よかった、です。」
やわらかな光の下、シュラフは満足そうにうなずく。父親があわてたように家から出てくる。
「そうか!それはよかった!それなら、君はここで一生暮らすといいよ。」
父親とハヤテを見ながらシュラフは両手を叩いて喜ぶ。ハヤテは、ジリッと後ろに1歩下がった。
「この家で二人で暮らすのは狭いだろう。もう一回り、いや二回り大きな家を作ってあげよう。」
「僕、大丈夫です。いいです、そういうの。」
シュラフの笑みはさらに濃くなる。ハヤテは恐怖心に包まれた。
「おや、謙虚なんだね。まぁ、いいよ。さぁ、ご馳走が待ってるんだ。覚めないうちに食べに行こう。」
ハヤテはそのまま二、三歩後ろに下がり
「僕、もう帰らなきゃ。」
と叫んだ。その途端にシュラフの表情が変わった。
「ご馳走を食べてからでいいだろ?そんなに急ぐことはないよ。」
「いえ、もう帰ります!」
ハヤテはそう叫んで一気に駆け出した。
「捕まえろ!」
後ろでシュラフがそう叫ぶのが聞こえた。ハヤテは恐怖に押しつぶされそうになりながら無我夢中で走った。

彩香 著