スピッツの曲にまつわるオリジナル小説

蛍 (作者:なおと)

蛍 【1】

 闇の中で一人音に沈んでいた。ヘッドホンを押さえて音に集中する姿は、耳をふさぐ仕草にとてもよく似ていて、実際そこに差異など存在しなかった。
 そんな僕の前に存在した彼女は、薄い翼を背負い、口元だけでゆっくりと笑う――


 行き交う人々はマネキンだ。音さえ聞こえなければ――音さえ聞かなければ、彼らは物言わぬ人形に過ぎなかった。
 僕の装備はアンバランスなほどにばかでかいヘッドフォン。それだけが僕の平穏を守ってくれる。逆に言えば、これさえあれば僕の平穏は保たれる。僕は人の溢れる混沌の中で立っていられた。
 街に溢れているだろう喧騒は聞こえない。全てはこのヘッドホンがシャットダウンしてくれる。音さえ聞こえなければ……僕は混沌の中に埋もれず、混じらず、この濁流から浮き上がり、切り離される。自分だけが違う地面を踏んでいる感覚。
 そんな中で。
 目の端を、白い笑みがかすめた。
 思わず、目で追う。暗い人の波の中、翼を持った彼女は仄かな光を放っているかのように浮き上がって見えた。彼女は笑っている。笑みを浮かべている唇だけが見える。目は見えない。唇だけが、見える。白い笑み。
 彼女の唇が、弾むように動く。彼女の声は、聞こえない。当たり前だ。僕は全てをシャットダウンしているのだから。聞こえない。聞こえない。彼女の言葉も、彼女の笑い声も、何もかも。
 彼女はやがて、背負った翼をはためかせて消えた。
 僕はどんな音にも侵食されず、清らかなまま目を閉じる。

なおと 著