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死神の岬へ  [作者:直十]

■13

「……来る」
  青年の低く押し殺した声に、緊張が高まる。地平線の白い点はやがて横に伸び、線になり、そして面になる。
  近づいてきている。こっちに向かってくる。それに気がついた時、ぞくりと背筋が泡立った。嫌な予感が一気に膨らむ。鳥肌が立った。
  それは草原をこちらに向かって近づいてくる、白い物体だった。今は離れているが、それでも卵大の大きさがある。
  それはどんどん近づいてくる。白いものは、もうすぐ近くに来ていた。速い。
  そして近づいてくるにつれて、それがなんなのか、わかってきた。
  あの、白い人影だった。青年が言うところでの、人間の死んだ魂。それが何百と集まって、こっちに向かってくる。
  戦慄した。それは言わば死者の行進だった。
  冥府でしか有り得ないような光景が、今目の前にある。
  それが白く表情も見えないような人影だったから、さらに性質が悪い。
  のっぺりとした顔がいくつもいくつも並んでいる様は、吐き気を催すほどに気味が悪い。
「なん、だ……?」
「きっと、事故だよ」
  ほとんど独り言のような呟きに、青年が答えた。
「あっちの世界で、たくさんの人が死ぬような大事故が起きたんだ。それで死んだ人たちが、みんなここをあの世だと勘違いしてやってきた……」
  青年は額に脂汗を浮かばせ、険しい目でその白いものを見つめている。
  息をするのも辛そうだと思って、それから慶吾は自分が息をしていないことに気づいた。
  急に息苦しさを覚えて慌てて深呼吸する。妙に息がしにくかった。常に意識していなければ息の仕方を忘れてしまいそうだった。息苦しい。
「これだけたくさんの“死”がやってくれば、ここの死の濃度だって上がる。息をし忘れないように、気をつけて」
  ふと、慶吾の後ろにいた玲奈が慶吾の腕を掴んだ。
  息は意識してしているようだったが、顔色は相変わらず蒼白だ。
  むしろ先程よりも蒼くなっている気がする。慶吾の腕を掴む手は、小刻みに震えていた。
  慶吾はその手を優しく握ってやる。手が震えないよう苦労した。玲奈を支えなくてはいけない自分は、せめて恐怖を表に出してはいけない。
「……下がって」
  いよいよ人影の集団が迫ってきて、青年はそれの横に逃れるように二・三歩下がった。
  玲奈も同じように下がる――が、慶吾だけはどこか魅せられたかのように、ふらりと人影のほうに近づいた。慶吾の腕から玲奈の手が離れる。
「けーごくん!!」
  青年の叫びと同時、集団の中の一人の人影が、慶吾の体に触れた。
  瞬間、がくんと意識が一段低い所に堕ちる感覚がした。肌に感じるのは、じりじりと体に侵食してくるような酷い熱。
  耳に感じるのは混沌の声。人々の悲鳴や泣き声や呻きが、頭の中を蹂躙する。
  鼻腔を刺激するのは、万物が焼ける匂い。気が狂いそうなほどの、灼熱の芳香。
  五感がここではないどこかに吹き飛んでいた。慶吾が見ていたのは、白い人影の集団でも、草原でもなかった。



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