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スパイダー [作者:那音]

■18

  こんな気持ちは初めてだった。
  愛したことはあっても恋したことなんて初めてで、それはなんだか心に火がついたような感覚に似ていた。
  俺はマリが好きで、マリと一緒にいたかったけど、
  やっと世界の美しさを知ったマリを連れて行くなんてそんなことはなんだか残酷なような気がして、
  だから俺は俺と一緒に行くかどうかマリに決めてもらうことにした。
  俺たちが初めて出会ったとき――出会うきっかけとなった、君の願いを、まだ持っているのだったら。
  この世界の美しさを知って尚、俺と一緒に行きたいというのなら。
  だからその誘いは、俺にとって求婚の響きさえ持っていた。
  だから――マリが連れて行ってと言ってくれたときは、俺が好きだと言ってくれたときは、本当に嬉しかった。
  腕に抱いたマリの感触はなんだか未知のもので、俺はただひたすらにくすぐったさを感じていた。
  だから俺は、もっと遠くまで君を奪って逃げる。


  夜明けが、近づいていた。
  クモはどんどん空を登っていく。煌きの街を見たときよりも、ずっと高く。だけど怖くはなかった。だってクモは、絶対に私を離さない。
  やがて地球の丸みが分かるほどにまでなり、吐く息が白くなる。
  上空はとても寒かったけど、クモに触れたところが温かかったから、我慢できた。

「見て、マリ」

  ふいにクモに促されて眼下を見る。

「海だ」

  足の下には都会の街。でもその向こう。そこには大きな大きな海が広がっていた。
  夜の海は深く、暗い。だけどそれは東の水平線に近づくにつれて薄くなり、群青の色を取り戻し輝いていく。
  空も同じだった。闇の色は東に行くにつれて空色へ、それから朱へ。
  海と空の綺麗なグラデーションは、一箇所に集まっていく。光が生まれる場所へ。夜が、明ける。
  太陽が昇る。光が目を差し、空の朱が一層濃くなる。海は太陽を映し朱に染まり、世界は光に包まれる。闇はもう、どこにもない。
  真っ赤に染まった幾筋かの雲をたずさえて、太陽が昇る。その光の集合体は世界を赤く染めて、私達に温もりを与えてくれる。
  なんて、素晴らしい朝。

「……綺麗」

「うん。そうだね」

  二人で、綺麗な朝を見つめる。こんなにも美しいものを、私は見たことがない。

「私、この世界が好きだよ」

  だって、最後の最後にこんなに美しいものを見せてくれた。まるで私を見送るように、もしくは私達を祝福するように。
  嬉しかった。

「でも、それ以上にクモが好き。だから私は、行くんだよ」

  だけど、クモがいなければこの景色だってこんなにも美しく輝かなかった。
  そもそもこの世界の美しさにも気付けなかったし、この景色を見ることもなかった。

「……うん。俺も」

  そう言って笑ってくれるクモが愛しくて、私は少し身を乗り出してクモの頬にキスをした。そうして私とクモは、一緒に笑う。

「じゃあ――行こうか」

「うん。行こう」

  そしてクモは美しい朝へ一歩踏み出す。
  自分の体がここではない世界に移る感覚に、私はぎゅっと目を瞑り見失わないように強くクモを抱き締めた。

  胸には不安も恐怖もなく、ただ愛しさだけがあった。



↓目次

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【15】 → 【16】 → 【17】  → 【18】

 − あとがき −

  スパイダー、すごい好きです。
  しかし愛のことばに引き続き、ファンに人気がある曲をチョイスする俺の勇気に乾杯……。
  でも愛のことばよりは曲の感じに近づけられたかな、と自負してます。
  いつも「スピッツ」+「自分のテーマ」で書いてるので、スピッツから離れないようにするのに必死です(汗)
  で、今回ひっそり盛り込んだテーマは「恋」+「世界の美しさ」です。前回とかぶりましたorz
  これを書くために今まで一度も聞いたことがないクラシックを聴き漁りました。
  その中でも気に入ったのがヴェルディのワルツです。一般的には「乾杯の歌」って言うのかな?すごく好きです。

  これを読んだあとにほんの少しでも世界を美しく感じてくれれば、私はとても嬉しいです。