スパイダー [作者:那音]
■17
夜がとても優しいことを、その夜私は初めて知った。
時刻は三時七分。あと一時間もすれば空が白み始めるだろう。クモが来るのはその前。だからきっと、もうすぐ。
私は眠らなかった。いや、眠れなかった。あれから家に着いてクモと別れて、それから私はずっと部屋に閉じこもっていた。
夕食を食べなかったから母には怒られたけど、仕方ない。大切なことなんだから。
日が暮れて夜はすぐにやってきた。夏の夜は私を静かに優しく包んでくれた。私はそんな優しい夜の中で考えていた。
この世界は、美しい。あの煌めく街のようにキラキラと輝いて、希望が過去にだって未来にだってたくさんある世界だ。
だから私はもう、この世界で生きていける。退屈という名の病は治った。もう死にかけることなんてない。世界は美しいのだから。
でも。
きっと私の中で、答えはもう決まっていた。
だから私は眠らずにクモを待っていた。一番気に入っている服を着て、ベッドにうずくまって待っていた。
時計が、三時半になろうとしていた。ふいに窓がコンコンとノックされ、顔を上げると窓の向こうにはクモがいた。
自分で鍵を開けられるのに、クモのそういうところがなんだかおかしく思えた。
私はベッドから降り、窓を開けてクモを迎えた。
「起きてたんだ?」
「……うん。なんだか眠れなくて」
クモは曖昧に笑って、背後の空を見た。もうすぐ、太陽が昇る。
「俺はもう行くけど、マリはどうする?」
少しだけ、困ったような顔をするクモに、私は笑った。
「私も、行く。連れてって、クモ」
それが、私の出した答えだ。
「この世界は、好きだよ。だってクモが、世界がこんなにも美しいんだってこと教えてくれたんだから。
でも、私はそれ以上にクモが好き。クモと一緒にいたい。クモと一緒に、たくさんの世界を見てみたい」
この世界は美しい。だけどそれ以上に、クモが好きだった。私はきっとクモに恋していた。
もはやクモがいなければ生きていけないほど、深く深く。だから私は、行くのだ。
「だからお願い、連れてって。私と一緒にいて」
私はもうこの世界で生きていけるし、ここで生きていたいと思う。だけどクモがいなかったら私は生きていけないのだ。
クモがいなかったら、この世界はたちまち色褪せて輝きを失う。
私は、クモが好き。この世界よりも何よりも、クモが好きなのだ。
「……ここから先は、何が起きるかわからないし、もしかしたら死んでじゃうかもしれない。それでも、俺と一緒にいたい?」
ああそれは、どうしようもない愚問だ。
「……うん。だって、クモと一緒にいられるなら、きっとどんな世界だって美しいから」
その言葉に、クモはどこか泣き笑いのような笑みを浮かべ、
「それじゃあ……マリを連れて行くよ」
嬉しくて抱きついた私を、強く抱き返してくれた。
そしてクモは、夜空を駆け上がる。
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