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スパイダー [作者:那音]

■16

  夏の長い日が、ようやく暮れようとしていた。
  夕陽が街を黄金色に染め、私とクモはその中を行く。
  私とクモは自転車に乗っていた。クモが自転車をこぎ、私はその後ろに横座りで乗っている。
  不安定だから、腕はしっかりクモの体に回していた。
  この自転車は(絶対に嘘だと思うけど)クモのものだという。
  下校しようとするとクモがどこからともなく持ってきて、半ば無理矢理私を後ろに乗せて今帰路についている。
  夕暮れの住宅街に人はほとんどいなくて、私はあまり恥ずかしい思いをしないで済んだ。
  私は周りに人がいないことを確かめて、クモの背中に体を傾けてみた。触れたクモの体は温かくて、安心する。

「……ねえ、マリ」

「うん?」

  ふとずっと黙っていたクモが声をかけてきて、顔を上げた。

「俺、そろそろどこかに行かなきゃいけない」

「……え?」

  その予想外の言葉に、時が止まった気がした。

「別に絶対に世界を回らなきゃいけないってわけじゃないんだけど、
他の世界でやらなきゃいけないこともいろいろ残してきたからね。そろそろ、行かなきゃ」

「え、え……世界……?」

「初めて会ったとき言ったでしょ。マリを他の世界に連れてってあげるよ、って。
世界はね、これ一つじゃないんだよ。さっき見せた踊りも、ここじゃない別の世界のものなんだ。
俺の名前はクモ。ありとあらゆる世界を糸でつなぎ、そのウェブを自由に動き回る放浪人。だから俺をよく知る人は、俺をクモと呼ぶんだよ」

  ドクン、と心臓が高鳴る。世界を回るという壮大さに、なんだかクモの背中が大きく見えた。

「え……い、いやだよ。ねえ、ここにいられないの、クモ。ここにいてまたワルツ踊ろうよ。
私やっと、楽しいって思えること見つけたのに、クモがいなきゃ意味ないよ……っ!」

  クモに、ここにいて欲しかった。だってクモは私にこの世界の美しさを教えてくれて。
  だからこれからもこの美しい世界でクモと一緒にいたかった。
  もう大丈夫だから、もう退屈じゃないから、もう連れていってほしいなんて願わないから、ここにいてほしい。
  だけどクモはしばらく黙って、首を振った。

「もし、マリが本当にこの世界から出たいと願うなら――俺と一緒にいたいと願うなら、連れていってあげてもいいよ。
別にこれが今生の別れってわけじゃない。今度この世界に来たら真っ先にマリに会いに行く。だから、もう二度と、会えないわけじゃない」

  その声は、とても悲しそうに聞こえた。

「……今夜、夜明け前に迎えに行くから。それまでに決めておいて」

  その時自転車はこの住宅街特有の長い下り坂に入って、私はあわててクモにしがみついた。自転車は黄金色の坂道を加速していく。
  しがみついたクモの背中は温かくて、クモの悲しげな声が耳から離れなくて、私はなんだかもう戻れないような気がした。




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