スパイダー [作者:那音]
■15
その時になってやっと、私は頬を伝う熱い雫に気付いた。
「あ……」
気付いたことがきっかけのように、涙はぽろぽろと溢れてきた。私にそれを止める力はなく、ただ頬を伝う涙を拭う。
なんで涙が出るのか、私は知っていた。
だって、楽しかったのだ。心から。あの時のように、いやあの時以上に、本当に楽しかったのだ。
乾き切り干からびかけていた私が、またあのときの瑞々しい熟れた果実のような自分になれたような気がした。
だって、この世界はあのときのようにキラキラと光って美しいんだから。
こんなにも世界が美しいのだと、やっと私は気付けたのだから。
「う……ふ、うええええ……っ!」
涙は止まらなくて、ぽろぽろとこぼれ鍵盤に落ちた。
私は、やっと大切なものを見つけたのだ。
夕陽が差し込む音楽室。古ぼけたピアノの前で私は泣き続けた。
私はもう泣かなくてもいいのだと思うと、涙が止まらなかった。
ワルツを弾き終えて急に泣き出したマリを見て、俺は何も言えずに立ちつくした。
マリがなんで泣いているのか、俺にはわかる。マリの感情は、ほとんどストレートに俺に流れ込んでくる。
マリは、嬉しいのだ。もう絶望しかないと思っていた世界に希望を見つけることが出来て――
世界にはまだまだ希望が残っていることに気付けて、嬉しいのだ。
だから俺は何も言えずに、ただマリを見ていた。
世界は希望で満ちている。そのことにマリは涙を流すほど喜んでいる。
でもおれにとってはそんなのは当たり前で、それでも涙が出るくらい素晴らしいことなんだと、俺は気付いた。
長く生きてきた中で当たり前に思うようになったことでも、それは美しいのだと、気付いた。
俺がマリに何かを与えることが出来たかはわからない。
だけどマリは俺にそれを教えてくれた。
俺はそうして、なんとなく悟る。
俺はマリを愛していたんじゃない。マリに恋をしていたんだ。
好きでも愛でもない。似ているけど違う、ただひたすらに相手を想うような、恋を。
↓目次
【1】 → 【2】 → 【3】 → 【4】 → 【5】 → 【6】 → 【7】 → 【8】 → 【9】 → 【10】 → 【11】 → 【12】 → 【13】 → 【14】
【15】 → 【16】 → 【17】 → 【18】
|