スパイダー [作者:那音]
■14
そして私はゆっくりと指を滑らせた。流れ出るのは滑らかで明るく軽快なメロディー。
それに合わせて、クモが踊りだした。
ワルツは本来社交ダンスの一つだ。だけどクモのそれは社交ダンスとは全く違う。
一人で踊っているのだからどちらかというと舞いに近い。だけどそれは、私が全く見たことがない踊りだった。
道化師が面白おかしくおどけるような、猫が無邪気に戯れるような、蝶が優雅に舞うような、とても楽しそうなだけどどこかちぐはぐな、踊り。
クモはそれを四肢と体全てを使って踊る。浮かぶ表情は、満面の笑み。
その舞いは軽やかで、その姿は楽しげで、私も演奏する指に力が入る。
弾けないかもしれないという不安は、弾き始めた瞬間に吹き飛んでいた。弾ける。指が覚えている。
その事実に興奮し、クモの楽しげな舞いもあいまって夢中になって鍵盤を叩いた。
時にはしっとりと穏やかに、時には激しく楽しげに、鍵盤の上で指が踊る。思い通りに指が動く。
ピアノは思い通りに旋律を奏でてくれる。私はピアノと一つになるような錯覚さえ覚えた。
この旋律はなんて明るくてなんて軽やかで、こんなにも心を弾ませてくれるんだろう。
なんて――楽しいんだろう!
曲はクライマックスに入る。激しく、だけど滑らかに鍵盤に指を滑らせる。
それにあわせてクモも踊る。熱を上げる演奏にあわせて舞いも激しくなっていく。
激しく手足を動かし、飛び跳ね、この世の全てを表現しつくすかのように、見たこともない舞いを踊り続ける。
踊るクモは本当に楽しそうで、笑っていて、その姿はキラキラと輝く青春時代の少年を思わせた。
クモは何百年も、へたすれば何千年も生きているけれど、そのどんな時期でもきっと青春時代なんだろう。
いや、いつだって青春時代のように輝いていられるほど、世界が美しいのだと知っているのだ。
世界が、美しいのだと。
激しく鍵盤の上を踊っていた指が最後の音を叩き、曲が、終わった。
長く息を吐く。曲の余韻が体の中と、それから空気中に残っているような気がした。夏だからなのか、汗をかいていた。
クモは残った余韻を感じ取るように踊り終えた姿勢のまま動かないでいたけれど、やがて姿勢を崩し私を見て――驚いた顔をした。
「マリ?」
「え?」
「なんで……泣いてるの?」
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