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スパイダー [作者:那音]

■13

  悲鳴は、どうにか呑みこんだ。
  クモと私は宙を飛びだけど重力からの解放を感じながら、さっきいた教室棟の反対側、管理棟の音楽室のベランダに着地した。
  クモは私を下ろし、鍵がかかった音楽室の窓にそっと手を触れる。その瞬間、窓の内側にある鍵が誰も触っていないのにカシャンと下りた。
  そしてクモは窓を開けて平然と中に入っていく。……なんかもう、驚くのも面倒になってきた。
  音楽室には誰もいなかった。古い紙と油が混ざったような匂いがする。音楽の授業は取ってなかったから、実は音楽室に入るのは初めてだ。
  ふと置いてあるグランドピアノに目が留まる。さっき見ていた夢のこともあって、ずきりと胸が痛くなった。
  あのころはとても楽しかった。でも今は――

「えーっと、あ、ここかな?」

  クモは勝手に戸棚を開けて中を物色し始めた。そこに入っているのは、たくさんの楽譜。

「あ、あった!」

  ほどなくしてクモは目当ての楽譜を見つけたらしく、一枚の楽譜を取り出しそれをピアノの楽譜立てに置いた。

「はい、マリ」

「えっ!?」

  笑顔で振り返られて、ビックリする。私に振るの?

「ピアノ、弾けるんでしょ? 弾いてくれないかな」

「え、でも、私は……」

  確かに、昔ピアノを習っていたから普通の人に比べれば弾けることは弾ける。
  だけどピアノはもうずっと昔に辞めてしまって、それ以来弾いていない。そんなんで、まともに弾けるわけがない。

「マリに見せたいものがあるんだ。そのためにマリに弾いてほしいんだ。ね、お願い」

  頭を下げんばかりのクモに、仕方なくピアノの前に座った。置かれた楽譜を見る。と、それは、

「あ……」

  ヴェルディの、ワルツ。

「ああ、これね、好きなんだ。明るくて楽しくて、すごくウキウキするから」

  そうだ。だから私も、これが好きだったんだ――。

「弾ける?」

「……うん。なんとか」

  これなら、弾けるかもしれない。幼い頃にあんなに弾いていたのだから、指が覚えてるかも。

「じゃあ、俺はこっちね」

  そうしてクモはピアノの右側に移動し、不思議なポーズをとって静止した。
  右手は緩く開いて顔の前へ。左手はピンと伸ばして地面に向ける。その姿は、日本舞踊の基本姿勢のようにも見えた。
  私は鍵盤に指を置く。ピアノに触れるのも数年ぶりだ。その冷たい感触に懐かしささえ覚えた。
  弾くイメージ頭の中に展開する。大丈夫だ。弾ける。




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